2017年12月8日金曜日

2016.05.29 個人新聞「ふぞろい9love」を創めて
                                          (「湧水」)


  脳梗塞の古傷が残り、脳出血で発症し、一ヶ月の入院を余儀なくされた。久万高原9条の会のほとんどの任務を約8年背負い続けたのを一部に限定して荷を軽くした。代わりに個人新聞「ふぞろいクラブ」を月刊で発行することにした。現在12号まで発行している。その趣旨を1号と2号に述べているので、かいつまんで紹介したい。
1号から
 「9をまく」という本がある。「まく」は「蒔く」が主な意味らしいが他の意味も込めているようだ。05年4月が初版で編者の集団はその前年に生まれている。9条を生かすための多様な活動が新鮮である。それに触発されたことと、日本国憲法の肝心要の部分は13条の「すべて国民は個人として尊重される」だという樋口陽一・伊藤真氏らの説が、現今の「和」の強調、同調圧力に埋没し自己規制に進む多くの国民感情を見るにつけ、大切だと感じ、「ふぞろい」であっていい、そうあるべきだと思い、この個人新聞を創ることにした。
   この新聞は、次のように運営したい。
①個人個人の多様な生き方・暮らし方・各種情報が紙面に反映できるようにしたい。原稿をいただきたい。匿名・ペンネームも実名も結構。
②月刊制とし、毎月13日を目途に発行・送信する。ただし、発行者には健康不安があるので、突然の発行停止・休刊が起こることを了解しておいていただきたい。
③発行者の生活状況から、印刷・郵送はできないので、ネットメールアドレスを有する方のみに送信する。希望しない方は連絡いただく。転送は自由。
④会費・カンパ一切不要。
⑤発行者の勝手な営みなので、読者も勝手な振る舞いをされて結構。ただし、紙 面以外での通信の秘密はお互いが守りあう。紙面の内容に関しては、どこでも どなたにでも語られて結構と認め合う。
2号から
 モチーフ1
山田太一さんの「ふぞろいの林檎たち」
  私は、山田太一さん脚本のドラマが好きだ。「狭いよりは広い家を、日陰よりは日向を、でこぼこ道よりはアスファルト道路を、遅いより早いほうを、自分の周辺にプラスの条件をどんどんそろえようとして生きてきた」一般的な生き方にほんとにそうかと切り込んでくる。これがすごく刺激的なのだ。映画「ふぞろいの林檎たち」は見ていないが、岩波ブックレット「ふぞろいの林檎たちへ」を読んで頷くことが多かったし、もう20年近くも前に読んだのに、今もちょくちょく読み返している。
モチーフ2
志村ふくみさん「不揃いの美」
 「愛媛新聞」15年3月17日の文化欄、丹波の山奥へ入って糸を紡ぎ草木で染め、手織りで織ることを老婆から習う青年青田五良。その青田から受け継いだ母からまた受け継ぐことになった志村ふくみさんが、誰のまねでもなく自分勝手で、整備され画一的なところが全くない、荒削りの、魅力的な美しさを「不揃いの美」と表現している。青田の仕事はまさにそれだというのである。
モチーフ3
長野県中川村曽我逸郎村長の「国旗、国歌、日本を考える
 「村長は卒業式や入学式で国旗に一礼をしていないようだが、なぜか」という議員の一般質問があった。村長の答弁は次の通りである。
 「国旗への一礼を押しつける空気は、思考や行動を型に嵌め萎縮させる。誇れる国にすることを妨げる。かえって日本の足を引っ張る。強制の空気があるうちは一礼を控えたい」
  ここまで個人の尊厳を守り抜いておられるか、敬服の至りである。また、同書の別のところで、「建前で済ませず、よく聞きよく見て、よく考え、空気を懼れず、冷静に丁寧に自分の考えを発言することが大切と思う」と。(著書はトランスビュー社)
全体から
自分の道を自分の足で歩いてきた人の輝き
 有名、無名を問わず、自分の道を自分の足で歩いてきた人は、燦然とした輝きを持っている。私が胸を打たれた、こうした人々の記録をすくい上げて、記事にしてきた。時には、時代に翻弄され、ゆらぎ、もがき、流され、屈した人々にも、人間の真実があることを取り上げた。そうした人々は、高齢になってもやり直しをしている。人間らしいといえる。
 取り上げた人々は次の方々である。
 笠木透、伊藤真、宇宙塵、鶴彬、泥憲和、桐生悠々、河原井純子、栗原貞子、いわむらかずを、吉田松陰、福沢諭吉、渡部良三、カント、奥田愛基、小林トミ、翁長雄志、上田栄一、才野俊夫、きたやまおさむ、橋本義雄、森達也、金子みすゞ、岡本鐵四郎、藤田嗣治、まど・みちお、池永正明、虫めづる姫君、清兵衛、高畠勲、浜松「平和大好きうたごえ喫茶」の方々、長坂月子
 読者とのつながり
 読者からお便りをいただくようになった。
 愛媛県=横野登美子、リュウジ・ムカイ、田中喜美子、水野真理子、
 広島県=土井信子
 静岡県=長坂月子、近藤房武、
 宮城県=酒井伸
  横野、土井、長坂は教え子であり、 彼女らがずっと年を経て、自分を持ち、
 問題意識を持って、人と関わり、社会と関わり、社会進歩と自らの成長に努力していることはうれしい限りである。彼女らは自分で自分を育てたのであり、私は少女時代にほんのちょっとのきっかけを与えたに過ぎない。そのほかの人々は、社会進歩の運動の中で関わりができた方であり、長く続く連帯に感謝したい。
コラム「吾(われ)亦(も)紅(こう)」の新設
  「吾(われ)亦(も)紅(こう)」は編者の思いを述べる欄として5号からスペースを作った。細いが強靱な茎と根を持っている山野草の風情に思いを託しているのである。 

0 件のコメント:

コメントを投稿