2017年12月8日金曜日

2011.06.05 原点と現点


  私が取り組んでいる「久万高原九条の会」の活動は、毎月の例会・学習会が最大の活動である。午後7時半から午後10時まで行う。テーマは、憲法九条をめぐる日本や世界の情勢、憲法誕生から今日に至る風雪にさいなまれた憲法とその憲法に命を吹き込んできた国民の闘いの歴史が主なものである。参加者は少ないときで10人あまり、多いときで20人あまり、最大の時が50人だった。
  次に力点を置いている活動は、機関紙「ピースナイン久万高原」の発行である。毎月、9日付けで、A4サイズ裏表2ページ立て、縦書き5段、カラー印刷で、会員と会員外に配っている。縦書き5段にこだわるのは読者を意識してのことである。日本語は縦書きが原則、読みやすくもある。作り手の都合を優先すれば横書きになろうが、どうしても親しみにくい。写真や図表も入れるが見やすくするのはレイアウトと見出しの付け方だろう。もう一つ、月刊制にこだわるのは、信頼をつなぐ意味がある。定期的に発行されて届けられて読者の信頼が得られる。「通信」を分析的に読めば「信を通わす」となる。
  これは、現点(現時点)の活動であるが、こうしたスタイルをかたくなに守っていることの第一は、若いときに学んだことが元になっている。大学時代に学生新聞部に属した私が大きな影響を受けたのは、議論の徹底であったし、その論議の中で自分も相手も変わるということであった。これを「学ぶ」というのだと思った。国民が一人でも多く学んでいかなければ、憲法を自分のものに出来ないし、憲法を活かしたり守ったり出来ないであろう。外交辞令の「学ぶ」は何も変わっていないが、本当の「学ぶ」には変容が見られる。「学びこそ力」というのは大学時代の活動が原点になっている。
  第二は、「継続の力」である。大学を卒業しても、学生運動を理由に就職できなかったときに、同様に愛媛県の教壇に立てなかった高校時代の友人二人と共に、サークル「青い実の会」をつくり、憲法記念日の5月3日から毎週土曜日の夜に集まり学習会を継続した。無力感に陥り未来に希望を見出せないでいた私には、この上ない励ましであったし、力をつける「学び」の機会となった。
  第三は、信頼を紡ぐことの大切さである。私は、現職時代、学級通信を、不定期刊で2年、日刊で5年発行し、学校便りは週刊で8年発行しつづけた。そこで悟ったことは、定期刊行でないと読者は待っていてくれないことであった。信頼を得る第一は約束の日には新聞が出ることだったのである。
  こうしたことが原点となって、今の活動(現点)がある。先日、「九条の会、大集合」という、愛媛県内各地の九条の会の交流会があったが、昨年・一昨年に比べても、参加団体が減少し、報告内容も活動に元気がないように思われた。私ども「久万高原九条の会」の報告が一定のインパクトを与え、注目されたが、注目に値するものは何もない。地味な学習会の積み上げと、機関紙の月刊と、口コミによる会員拡大くらいである。4月24日に第2回総会を開いたが、参加者約40人、会員は1年間で2.5倍になり、カンパは3万円余が集まった。5月3日の「愛媛憲法集会」で講師の三宅晶子先生が提起された内容はほとんど学習していた。しかし、掘り下げは浅いので学習をし直す必要は感じた。どういうアプローチをするか、考えるだけでワクワクする。これも「青い実の会」の仲間からもらったものだと思っている。むのたけじさんが、「たいまつ」の中で、「10代の後半、その時期は生涯で最初の、そしてたぶん最も深い分水嶺である。その時期になにを学んだか学ばなかったか、なにを経験したか、しなかったか、そのちがいは生活が先へ進むにつれて身にしみるだろう。」と言っておられるのが、原点と現点の関係であるが、私の場合は幸いであった。だが、学びに「もう遅い」はないだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿