2017年12月8日金曜日

2011.05.03 5.3愛媛憲法集会の意義


 65年も前にできた日本国憲法前文は「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とし、九条による不戦・非武装の「平和国家」構想と、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という二五条の「福祉国家」構想を打ち出しました。60有余年の憲法史は、改変側とそれを阻もうとする勢力の綱引きの歴史であり、実質軍事同盟である安保条約と実質軍隊の自衛隊を許し、アメリカや財界の「軍事大国化」への要求を呑みながらも、今日まで戦争当事国となったことが一度もなく、自国の戦争で一人の命も失ったことがありませんし、「非核三原則」「武器輸出三原則」「専守防衛」など一定のタガをはめてきました。
 一方、二五条の福祉国家構想は、政権側から具体化されることはなく、1950年代の朝日茂らによる裁判闘争、1960年代後半からの革新自治体による福祉国家の追求(蜷川京都府政は50年代から7期28年)などで具体化されましたが、人間らしく生きるのは個人の権利として当然という考え方はまだ成熟せず、正反対の「自己責任論」が幅をきかせています。そして、新自由主義に基づく「構造改革」でワーキング・プア・自殺者・貯蓄なし世帯・離婚者・児童虐待・犯罪等の増加を生み、反貧困の運動が高まっています。
 九条が、国家が立ち入ってはならない領域を定めた「してはならない」条項であるのに対し、二五条は国家の出動を義務づける「しなさい」条項なので、条文の趣旨を具体化する立法を図らねばなりません。これまでの成功の歴史は、政党・労組・市民が共同して、政府方針の対抗軸を作ってきたこと、最近では、個人の主導(主動)が、豊かな活動と広がりをつくり力を生み出している点が特徴といえます。
 10年前の9.11は戦争への転換点となりましたが、今回の3.11は平和と福祉への転換点にしなければなりません。人間らしく生きる権利を自分のものにして立ち上がるなら憲法は力を発揮します。黙っていないで声に出しましょう。近くの人に話して動いてみましょう。今日を、広がりのある運動の出発点にしましょう。

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