2017年12月8日金曜日

 2017.05.29 改憲問題と主権者を育てる教育
                                         (「湧水」)


  久万高原9条の会例会で、自民党改憲草案で、現憲法97条がなぜ削除されているか議論した。97条はこうなっている。

   「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成 果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

  基本的人権の永久不可侵性を宣言したもので、次の条で、最高法規性を規定している。

97条削除の問題ー1
 この改憲草案は、現憲法98条と同じで、最高法規の根拠である現憲法97条との連続でこそ意味があるのであり、現憲法97条削除では最高法規の根拠を示したことにならない。立憲主義的憲法の価値は、人権の保障にあることを明確にしない最高法規規定は立憲主義の本質を欠いているというべきだろう。

97条削除の問題ー2
 私は、中学校の歴史教育に携わった一人として、もう一つの問題を提起したい。現憲法97条の「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」という表現と「過去幾多の試練に堪へ」という表現の歴史的重みを、自民党は消したかったのではないかということである。
  本多公栄著『生徒と共につくる社会科の授業』(74年明治図書)で著者は、中学歴史の授業について次の意見を述べておられる。
イ たえず民衆の立場に立ちながら、民衆自身ならびに為政者側の歴史を学ぶ。
ロ 日本やアジアに視点をすえながら世界諸民族にも目を広げる。
ハ 日本と世界の歴史がどう未来に向けて進んでいるか、進めていくかを学ぶ。
  私もイ項を強く意識し、特に「民衆の立場に立」って史実を掘り起こし拾い上げて歴史の授業にとりくんだ。そこから必然的に「人類の多年にわたる自由獲得の努力」を描くことになったし犠牲の多い「試練」にも触れなければならなかった。それでこそ歴史を進めた、歴史が進んだといえるのではないか。現在の自民党や内閣は、歴史を後戻りさせようとしている。抵抗権の根拠にもなる現憲法の97条は邪魔でしょうがないのであろう。修正を通り越して削除である。

 主権者を育てる
 もう一つ重要な本がある。安井俊夫著『主権者を育てる公民の授業』(86年あゆみ出版)である。
  著者は「まえがき」で「最近、子どもの中で『異論』を唱えることが少なくなったように思う」と。あえて自説を持ち出すことをせず、それに従うまでという雰囲気が強いのだという。本来、関係が成立するには、こちら側に「自分」があり、相手方にも「自分」が存在し、それが結ばれていくはずなのに、今の子どもたちの人間関係は、そういう「自分」と「自分」のつながりになっていない点だと分析している。自分の判断ではなくみんなの動きに従うという全体主義やファシズムの受け皿になってしまうと心配する。社会科だけでなく、教育そのものの課題として「主権者を育てる」ことが重要であると説く。
  ここで描かれている状況は30年も前の状況だが、今も同じだし、もっとひどくなっているともいえる。「中立であることが至るところで過剰に要求される。『政治的公平性』どころの話じゃない。『政治的無関心』こそが推奨される」(大澤聡、愛媛新聞) 状況だ。
  愛媛県教委の政治活動届け出義務化は「自分」を殺し萎縮させるもの、のびのびと「自分」をつくるよう助長することこそ教育の仕事だ。今の学校現場が気になる。これまでに述べた社会科だけでなく、学級会や生徒会が「自分たち」の問題を議論しているか。異論がたくさん出てこそ議論になる。そういう雰囲気や場がつくられているか。校長以下全職員がこの課題に知恵を絞ってこそ子どもたちの学校になるのではないか。
2016.05.29 個人新聞「ふぞろい9love」を創めて
                                          (「湧水」)


  脳梗塞の古傷が残り、脳出血で発症し、一ヶ月の入院を余儀なくされた。久万高原9条の会のほとんどの任務を約8年背負い続けたのを一部に限定して荷を軽くした。代わりに個人新聞「ふぞろいクラブ」を月刊で発行することにした。現在12号まで発行している。その趣旨を1号と2号に述べているので、かいつまんで紹介したい。
1号から
 「9をまく」という本がある。「まく」は「蒔く」が主な意味らしいが他の意味も込めているようだ。05年4月が初版で編者の集団はその前年に生まれている。9条を生かすための多様な活動が新鮮である。それに触発されたことと、日本国憲法の肝心要の部分は13条の「すべて国民は個人として尊重される」だという樋口陽一・伊藤真氏らの説が、現今の「和」の強調、同調圧力に埋没し自己規制に進む多くの国民感情を見るにつけ、大切だと感じ、「ふぞろい」であっていい、そうあるべきだと思い、この個人新聞を創ることにした。
   この新聞は、次のように運営したい。
①個人個人の多様な生き方・暮らし方・各種情報が紙面に反映できるようにしたい。原稿をいただきたい。匿名・ペンネームも実名も結構。
②月刊制とし、毎月13日を目途に発行・送信する。ただし、発行者には健康不安があるので、突然の発行停止・休刊が起こることを了解しておいていただきたい。
③発行者の生活状況から、印刷・郵送はできないので、ネットメールアドレスを有する方のみに送信する。希望しない方は連絡いただく。転送は自由。
④会費・カンパ一切不要。
⑤発行者の勝手な営みなので、読者も勝手な振る舞いをされて結構。ただし、紙 面以外での通信の秘密はお互いが守りあう。紙面の内容に関しては、どこでも どなたにでも語られて結構と認め合う。
2号から
 モチーフ1
山田太一さんの「ふぞろいの林檎たち」
  私は、山田太一さん脚本のドラマが好きだ。「狭いよりは広い家を、日陰よりは日向を、でこぼこ道よりはアスファルト道路を、遅いより早いほうを、自分の周辺にプラスの条件をどんどんそろえようとして生きてきた」一般的な生き方にほんとにそうかと切り込んでくる。これがすごく刺激的なのだ。映画「ふぞろいの林檎たち」は見ていないが、岩波ブックレット「ふぞろいの林檎たちへ」を読んで頷くことが多かったし、もう20年近くも前に読んだのに、今もちょくちょく読み返している。
モチーフ2
志村ふくみさん「不揃いの美」
 「愛媛新聞」15年3月17日の文化欄、丹波の山奥へ入って糸を紡ぎ草木で染め、手織りで織ることを老婆から習う青年青田五良。その青田から受け継いだ母からまた受け継ぐことになった志村ふくみさんが、誰のまねでもなく自分勝手で、整備され画一的なところが全くない、荒削りの、魅力的な美しさを「不揃いの美」と表現している。青田の仕事はまさにそれだというのである。
モチーフ3
長野県中川村曽我逸郎村長の「国旗、国歌、日本を考える
 「村長は卒業式や入学式で国旗に一礼をしていないようだが、なぜか」という議員の一般質問があった。村長の答弁は次の通りである。
 「国旗への一礼を押しつける空気は、思考や行動を型に嵌め萎縮させる。誇れる国にすることを妨げる。かえって日本の足を引っ張る。強制の空気があるうちは一礼を控えたい」
  ここまで個人の尊厳を守り抜いておられるか、敬服の至りである。また、同書の別のところで、「建前で済ませず、よく聞きよく見て、よく考え、空気を懼れず、冷静に丁寧に自分の考えを発言することが大切と思う」と。(著書はトランスビュー社)
全体から
自分の道を自分の足で歩いてきた人の輝き
 有名、無名を問わず、自分の道を自分の足で歩いてきた人は、燦然とした輝きを持っている。私が胸を打たれた、こうした人々の記録をすくい上げて、記事にしてきた。時には、時代に翻弄され、ゆらぎ、もがき、流され、屈した人々にも、人間の真実があることを取り上げた。そうした人々は、高齢になってもやり直しをしている。人間らしいといえる。
 取り上げた人々は次の方々である。
 笠木透、伊藤真、宇宙塵、鶴彬、泥憲和、桐生悠々、河原井純子、栗原貞子、いわむらかずを、吉田松陰、福沢諭吉、渡部良三、カント、奥田愛基、小林トミ、翁長雄志、上田栄一、才野俊夫、きたやまおさむ、橋本義雄、森達也、金子みすゞ、岡本鐵四郎、藤田嗣治、まど・みちお、池永正明、虫めづる姫君、清兵衛、高畠勲、浜松「平和大好きうたごえ喫茶」の方々、長坂月子
 読者とのつながり
 読者からお便りをいただくようになった。
 愛媛県=横野登美子、リュウジ・ムカイ、田中喜美子、水野真理子、
 広島県=土井信子
 静岡県=長坂月子、近藤房武、
 宮城県=酒井伸
  横野、土井、長坂は教え子であり、 彼女らがずっと年を経て、自分を持ち、
 問題意識を持って、人と関わり、社会と関わり、社会進歩と自らの成長に努力していることはうれしい限りである。彼女らは自分で自分を育てたのであり、私は少女時代にほんのちょっとのきっかけを与えたに過ぎない。そのほかの人々は、社会進歩の運動の中で関わりができた方であり、長く続く連帯に感謝したい。
コラム「吾(われ)亦(も)紅(こう)」の新設
  「吾(われ)亦(も)紅(こう)」は編者の思いを述べる欄として5号からスペースを作った。細いが強靱な茎と根を持っている山野草の風情に思いを託しているのである。 
2016.04.15 アメニモマケズ アベニモマケズ
                                 (愛媛退教ニュース)


 「何用あって月世界へ?―月はながめるものである」といったのは山本夏彦だが、私は「何用あって自衛隊は地球の裏側まで行くのか」と問いたい。
  自衛隊は「自衛」が任務で「他衛」が任務ではない。個別的自衛権で自衛したらいい。集団的自衛権はアメリカの戦争に参戦する権利で、日本の防衛とは無関係。そもそも日米安保は米国の権益を守ることが主で日本を守ることが主ではない。
  昨年11月13日のパリ、その後のベイルート、バマコ、チュニス、そして今回のブリュッセルのテロは、アメリカが行ったアフガニスタン・イラク・シリア等での破壊・混乱の中で育った「イスラーム国」によるものである。「対テロ戦争」は憎しみの連鎖を生み、それを拡大する。軍事力の行使からは何の解決も生み出さない。
  安倍首相は、大規模災害や外国からの侵攻に対処するため権力分立を一時停止して政府に権限を集中させ、国民の基本権に特殊な制限を加えることを眼目とする「緊急事態条項」を盛り込む憲法改正に、優先的に取り組む姿勢を打ち出した。自民党改正草案の98条・99条にあるとおりだが、憲法学者の長谷部恭男さんは、日本国憲法53条で国会を召集し、必要な法律を作ればよいだけの話という。ヒトラーがやった「全権委任法」をまねたいのかもしれないが、こちらは法律よりも上位の憲法を変えようというのである。
  集団的自衛権によって、日本の血税で給料を受け訓練した日本の若者が、血税で購入した武器を携えて、米国の都合で行われる戦争に、米軍の下働きとしてかり出される、これほど売国的なことがあろうか。
  今年は参院選(衆参同日も?)の年。昨年「聴取不能」の議事録状態でだまし討ちの強行採決でしか可決できなかった戦争法、市民・民衆の手に政治を取り戻そうとした闘いは、分裂を乗り越えて新しい政治風土を作りつつある。変革運動の主体「市民」の一員として、諦めない、燃え尽きない、持続する闘いを、地域に持ち場に粘り強くやり抜こう。 
2015.05.31 「ピースナイン」編集を降りて
                                         (「湧水」)


  久万高原9条の会機関紙「ピースナイン久万高原」の編集を約8年94号をもって降りた。脳出血を発症したことを機会に、後続の方による継承発展を期待してのことである。A4判縦使い縦書き5段構成裏表2ページを毎月9日付けで発行してきた。発行日が近づくと一種の緊張感に襲われ、張り合いを持つとともにしんどい思いも併せ持って迎えた。
  新聞は、見出し、リード、本文、資料(データ・写真・談話等)で構成され、本文は重要なものから先に書き、5W1Hの事実を明確に記すものになっている。視覚的にはレイアウトがカギを握る。
  憲法9条をめぐる問題は政治の次元の問題であり、日常の暮らしとどう関わらせてゆくか、紙面構成に一番悩み抜いたことである。卑近な例だけを記すのではなく、普通なかなか入手できない情報を提供することによって、そういうこともあったのか、そうだったのか、そういう考え方もできるのか、といった思考の場を作り、議論に参加していただけたらと思って、多少レベルの高い切り口にすることが多かった。最近、安倍内閣による、平和も民主主義も生活も破壊する、狂気に近い行政が猛進しているのに、国民の支持率が高いという民主主義の未熟さ(同調圧力から自立できない個人)に希望を失いそうになったが、それだけにこの新聞を出す意味があると思い直したりして続けてきた。
  長野県南部に中川村という小さな村がある。曽我逸郎村長は現在3期目。「憲法9条を守る首長の会」、「日本で最も美しい村」連合加盟、「中川村全村挙げてTPP交渉参加反対デモ」呼びかけ隊列の先頭に、「脱原発を目指す首長会議」参加、「国旗に一礼しない村長」。曽我逸郎さん自身がすごいのはもちろん、この人を3期も首長に選んだ村民にも敬意を表したい。
  中川村議会一般質問。「村長は卒業式や入学式で国旗に一礼していないようだが、なぜか。」
 曽我村長答弁。「国を誇りに思う気持ちは、誇れる国を創れば自然に生まれる。そのためには一人ひとりがあるべき国の姿を考え、その実現に向けて行動しなければならない。国旗への一礼を押しつける空気は、思考や行動を型に嵌め萎縮させる。誇れる国にすることを妨げる。かえって日本の足を引っ張る。強制の空気のあるうちは一礼を控えたい。」  (12年6月)
村立中川中学校卒業式祝辞
  (前略)若い皆さんはこれからの社会を築いていく立場にあります。私たち大人の失敗を改めてもらわねばなりません。経済においても、またエネルギーなど社会の基本的仕組みにおいても、これまでの延長線上ではやっていけない時代になっています。みなさんの若々しい自由で柔軟な発想が必要です。そのためには、どうか皆さん、幅広い勉強を続けてください。そして、まわりの空気を恐れず、勇気をもって自分の考えを表明し、批判を受け止め、みんなでお互いに考えを深めていくことが大切です。人と違う意見は、違うというだけで価値があります。少数意見にも耳を傾け、互いに学び合って、明るい未来、希望の持てる社会を創り上げていただきたいと願います。
  最後に英語の言葉をはなむけとして送ります。
   You can't control the length of your life
  but you can control the width and depth
  (人生の長さを好きに伸ばすことはできないが、
   人生の広さと深さは自分で広くも深くもできる。) (後略)
                     (11年3月16日)
 国旗一礼の答弁も中学校卒業式の祝辞も若い世代だけでなく、私たち大人自身が重大な考慮を払うべき問題である。これこそが日本に根付かなかった最大の課題だとも言える。私は、冒頭に書いた発症から人生の長さが残り少なったことを強く感じるようになった。終末を迎えるまでにしておかなければならないことがたくさん残っている。限られた時間、少しでも広さと深さのある人生としたい。「ピースナイン」の編者は降りたが、人生の現役は降りない。希望がないように見える現今の日本と世界、ギブアップして何もしないのでは、相手の思うつぼにはまるだけだからだ。
  (参考文献 曽我逸郎著「国旗、国歌、日本を考える」トランスビュー発行)
2015.05.31 サクラに思う
                                  「湧水たより」


  今年もサクラがきれいに咲いた。山桜、エドヒガン系、ソメイヨシノ、シダレザクラ等々どれも美しい。家族や知り合いの家族とともに、サクラ見物に各地に出かけた。
  サクラは美しいのだが、どうしても連想させられることがある。一つは、「同期の桜」の歌にある勝つことを考えていない犠牲。海軍特攻隊「神風」潜水魚雷「回天」どちらにも搭乗員の救命装置はなく、確実に死をもたらす兵器であったことである。そうした死を美しいサクラの花の散るのに象徴させ、美しい生き方を強く望んだに違いない若者を、その生き方と対立するはずの「自国に対する責任」という、死と同義の行動に駆り立てたのである。
  特攻隊員の戦死者は3843人とも3349人ともいう。職業軍人たちは出撃を志願せず、学徒兵や予科練生だけが死地に送り出された。彼ら若者の残した膨大な手記からは、美しい理想に燃えた若い命の実例が満ちあふれているという。ユートピア的理想主義、ロマン主義、マルクス主義、コスモポリタリズムを追求したのまであるとのことだ。
  サクラに関する私のもう一つの思いは、44年6月に戦死した父のことだ。父の死後、先輩だった方から、短冊の色紙が送られてきた。そこに書かれていたのは、「散る桜残る桜も散る桜」とあった。良寛の辞世の句との説もあるが、別の本には「裏を見せ表を見せて散るもみぢ」が辞世の句とあったので、真偽のほどは分からない。
  美しいがゆえに、誰にも好かれるがゆえに 、サクラは軍国主義化の象徴となった。特攻隊の若者も私の父も、平和な社会に生きていたら、いい仕事をしたのではないか。社会の進歩や人々の生活向上になにがしかの貢献をしたのではないかと思う。
  桜の花の歪曲を図り、 多くの人を殺した大罪は権力者の側にあることは言うまでもないが、力のない私ども一人ひとりが、気がつかないうちに悲劇を導く道に荷担していったことも心して、実生活を営みたいと思っている。
  美しいものは利用される。サクラだけではない。文学も音楽も演劇も映画も建築も……。
 参考文献 大貫恵美子 著『ねじ曲げられた桜ー美意識と軍国主義』  (岩波書店) 4000
                          円+税  (600ページにわたる大著、腰を据えないと読めない)
2014.06.03 「木を見て森を見ず」の結果
                                                       (「湧水」)


  つい最近、「教育勅語」の原本が確認されたという記事が「愛媛新聞」に報じられていた(4月9日付け)。関東大震災で文部省庁舎が焼けた際に損傷していたが、62年に公開されて以来所在不明になっていたものがみつかり、国立公文書館に移管し、修復を進めるのだという。今ごろなんで…という気がしないでもない。
  私に近い友人が、「教育勅語」はすべてが悪いのではない、いいことも示しているといったことがある。なるほど、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習い以て智能を啓発し、徳器を成就し、進で公益を広め……」というのはさほど異議を挟めない。しかしである。
  「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」(いったん国にことある場合には、勇気をふるい、一身をささげ、皇室国家のために尽くす)るのが「臣民の道」であり、「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」に収れんしている。つまり、夫婦が仲良くするのも、学問を習うのもすべては皇室の運勢をますます盛んにすることに他ならないのである。これは第二段の内容であるが、第一段は、天照大神以来の天皇が日本を支配する国体であり、教育の源もここにありとし、第三段は天皇が臣民とともに以上のことを守るべきとし、全体として、忠君愛国と忠孝の道徳を強調している。
  「教育勅語」は天皇から首相・文相への下賜という形式をとり、印刷謄本も各種学校への下賜であった。「教育勅語」は「不磨」の憲法と呼ばれ、教育についての最高の勅令として、徳育の基本とされた。
  このように、「教育勅語」は形式においても、内容においても、民主主義の理念に相容れないものであり、これが本質である。先ほどの友人の発言は、「木を見て森を見ず」となっている。
  「教育勅語」の徳目数を超える徳目の内容が、一次安倍内閣で成立した「教育基本法」第二条にある。学習指導要領の「教科」「道徳」「特別活動」「総合」の四領域があるのに、「道徳」にかかる目標のみを「教育目標」とするのは、戦前の「修身」を筆頭科目としたのと同様に、教育を道徳教育に一元化していく志向が読み取れる。
  日本近代史を振り返ってみると、教育は戦争への露払いの役目を担ってきた。一次安倍内閣が、国民投票法とともに、教育基本法の改定をしたのも、二次安倍内閣で次のような政策が着々とそれも急ピッチで進められているのもそのためであろうと考えられる。
① 道徳の教科化 子どもの心を 国家が管理
② 教科書検定基準の改悪 教科書の国定化へ 
③ 教育委員会制度の改変 首長主導型地方教育行政
④ 学制の複線化 「人格の形成」でなく「人材の育成」である。
  とび級 産学連携 大学評価システム 予算等の資源再配分……理研や小保方さんはその犠牲ではないか。
⑤ 小学校英語教育教科化 国際競争に打ち勝てる少数のエリートの育成
  これらの教育政策の結果として、国際競争に打ち勝てる少数のエリートと使いやすい使い勝手のいい労働者・兵士になるようなノンエリートが大量に生み出され、「世界で一番企業が活動しやすい国」づくり?大企業のもうけが増える国になってどうなるのか。内心への介入と支配が進み、ものもいわない人間ばかり増えて、命を落とす人間が多くなってしまっていいのか。
   付 廃仏毀釈から石仏を守った民衆
  攻撃に対して、防御が必要なことがある。この写真の石仏は、久万高原町美川地区、藤社(ふじこそ)の奥地の岩陰にある。天保9年、10年、11年、12年の刻印があるから、1838年から41年のもので、新四国、新西国の札所である。
  もともとは美川古道とも呼ぶべき生活道に設置されていたと思われるが、写真のような岩陰等の場所に移されたと思われる。郷土史家(故人)は、「明治初年の廃仏毀釈によって、この種の石仏類が、荒波にさらされたことは、容易に推測できるが、実際に調査を始めて見ると、当時の人々の信仰心の深さと、それを守ろうとする知恵に驚かされるばかりであった。集められた場所も、人里離れた山中で、容易に人が近づけないようなところを選んでおり、当時の官憲の目を逃れるための、人々の苦心の跡が忍ばれるのである。」と記している。
  明治初年と今日とは全く違うはずである。国家にも権力にも金力にも縛られない、自立した人間が多くなっているはずである。憲法を基にした平和な日常、いのちとくらしを守る闘いを、知恵を出し合って続けたいものである。
              参考文献 藤田昌士「道徳教育」エルディ研究所
                        美川村教育委員会編「美川の歴史と民族」
2014.04.15 神山征二郎監督のメッセージを今こそ
                                           (「愛媛退教ニュース」 )


    1884(M17)年明治政府を震え上がらせる「秩父事件」を映画「草の乱」で描いた神山征二郎監督が、2001年12月9日付「朝日新聞」に「ひるまず声上げ続けて」を投稿している。 「いまアフガニスタンは長年の戦争で疲弊の極みなのに爆撃を受けている。この精神構造は美しくない。富める者を正義とし富まざる者を不正義とする考えに陥ってはならない」「自衛隊派遣にしても、米国の強大な軍事力に屈し、勝ち組に残ろうという浅ましい精神が垣間見える。貧しき、弱き者へ心が及ばない政治が悲しい。国民の政治風土も同じだ。」  政治家の世界だけでなく国民の政治風土にまで言及されている慧眼に敬服する。安倍首相の集団的自衛権の合憲解釈に「私が責任を持っている」は国権の最高機関「国会」と国民主権を無視した野暮な話だし、「戦争をしない」という憲法を「戦争はできる」という解釈、日本を攻撃しない国にも「戦争はできる」とは無茶な話だ。こんなことが起こっているのに、国会審議が止まらない、閣僚辞任がない、それは国民が怒らないからだろう。声を上げる国民になろう。  神山監督は「一人ひとりが平和を求める声を止めないことだ。家族や職場や友だちと、声を上げ続ける。誰でもできる努力だ。」「無関心にならず、絶望せず、ひるんではいけない」と投稿を結んでいる。13年後の今も同じだ。
2013.04.16 憲法が危ない


  昨年末の総選挙で、「日本国憲法改正草案」を掲げ、改憲をライフワークとする安倍氏を総裁に戴いた自民党を、有権者が選んだ。これで憲法が危なくなったのだが、頼りない国民、危ない国民になってきたことが根幹の問題だと思う。
 全体主義(ファシズム)は民主主義の手順を踏んで出てくる。善意の民衆を作り、「みんなのため」「社会のため」といって仕組みを作っていく。1928年のドイツではナチスが2.6%の得票だったが、30年の選挙で18.3%、33年3月の選挙では43.9%、33年11月の選挙ではナチスのみの出馬で92.2%、独裁体制となった。全体主義は「今から制圧する」とか「弾圧する」なんていわない。気がついたら全体主義になっている。今だって、「私たちは平和が嫌いです」とも「戦争をやります」ともいわない。
  しかし、自民党が昨年4月27日に決定した「日本国憲法改正草案」は、第1に、天皇の元首化、国旗・国歌・元号も規定し保守的・復古的性格のものである。第2に、国防軍の設置・利用、現9条2項を削除して集団的自衛権の行使を可能にする、平和主義の根本的改変。第3は、国民は「個人」として尊重されるのではなく「人」として尊重されるに変わっている。「自由な意思を有する自立的主体=強い個人」から「他人に迷惑をかけない人」に変わり体制迎合に向かうことになろう。政教分離の緩和、結社の自由の制約、労働基本権の制限など人権保障は弱体化して、国民の生きづらさが増してこよう。
  世の中の大勢に、口をつぐんで自己規制したり、無関心と決め込んでいたりしたら、早い時期に全体主義になってしまう。おかしなことには黙っていず、きちんと意思表示をしていくこと、わからないことは聞いてみる、調べてみる、学んでみる、そして、自分の考えていることを、反対しそうな人にも伝えて対話してみる、こうした国民が増えない限り、日本の未来はないように思える。
  ある人の言葉に、「批評家になるな。いつも批判される側にいろ」というのがあったが、私は、評論家でなく、運動家でありたいと思う。
2013.04.01 安倍首相の「新しい国へ美しい国へ』完全版


  安倍首相の著書、『新しい国へ 美しい国へ完全版』を読んだ。この本で、安倍首相は、日本国憲法前文を「へりくだった、いじましい文言」と評価している。なぜそんなふうに感じるのか、私にはまったく理解できない。
 日本国憲法は、前文の末尾において、みずからを「崇高な理想と目的」と呼んでいる。まさにそのとおり、私は、安倍首相とは反対に、日本国憲法は、身分不相応な程に大きな志であり、大望だと思う。
 どういう考えで安倍首相は「いじましい」との評価を下したのだろうか。同書を何度も読み返し、安倍政権の他の言動とも突き合わせ、試行錯誤した結果、ようやく一つの仮説にいきついた。
 安倍首相のいう「戦後レジーム」とは、「敗戦国日本が欧米に懲罰的に軍事力を取り上げられた状態」のことを言っているのではないだろうか。「戦後レジームからの脱却」とは、「軍事力を許してもらい、欧米列強の仲間に迎え入れてもらうこと」ではないだろうか。日本を欧米の下に見ているが故に、安倍首相は卑屈なほどに迎合的なのだ。つまり、考え方の根本は、未だに脱亜入欧なのだと思う。
 しかし、日本国憲法が謳う「崇高な理想と目的」は、欧米列強並みというような、低い志ではない。
 欧米、わけても米国は、口では美しい理想を説きながら、みずからの利害のために自己正当化をしつつ軍事力を使うことを恥としない。Aを押さえるためにBに兵器を送り、Bが強くなりすぎたら、Cを軍事支援する。挙げ句にCを無人機で攻撃する。あちこちに紛争の火をつけ、おびただしい数の女性や子どもを巻き添えにしている。
 日本国憲法の「崇高な理想と目的」とは、日本の国益というような小さなものではない。日本だけでなく、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」そういう世界を築き上げることである。全力をあげて、これを達成することを、我々日本国民は、国家の名誉にかけ、憲法前文において誓っているのだ。つまり、日本国憲法は、欧米のレベルのはるかに上を目指しているのである。
 日本国憲法に対して、「世界の現実に対応していない」と批判する人がいる。そんなことは百も承知だ。日本国憲法はみずから「崇高な理想と目的」と名乗っている。現実に妥協するのではなく、理想とする理念を高く掲げ、それに向かって世界を、当然欧米も含めて、引っ張っていくのである。フランスの人権宣言やアメリカの独立宣言が、当時は非常識であったであろう理想を掲げ、世界をそこへ引っ張っていったように、日本国憲法は、軍事力を用いることが恥である世界、世界中の人々が恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに暮らすことのできる世界の実現を掲げ、そこへ世界を引っ張っていくことを誓っているのだ。
 この崇高な志を理解できず、「普通」の国、軍事力にものを言わせて女性や子どもを犠牲にして恥じない国の仲間に入れて欲しいという願望こそが、いじましい。このような人物が、崇高なる日本国憲法を、「普通の」、志のない凡俗なものに変えようとしている。嘆かわしいことだ。許してはならない。
2012.10.24 全退教四国ブロック報告
                    第20回全退教四国ブロック交流集会



  住民主役の地域づくりー久万高原町                
1 久万高原町
     面積 584㎢ 人口 9800人 高齢化率 42.97(県下1位) 産業 農林業が主
2 退教協中予支部久万高原分会
  ⑴  会員 6人 うち5人は久万高原9条の会会員
  ⑵  活動 
    ① 久万楽しい授業の会
       戦後愛媛教育史学習会     7回
       近現代史の中の道徳教育   7回
    ② 久万高原自然教室
    ③ 子育て読書会
 3 久万高原9条の会
  ◎ 綱領的な指針
    1 私たちの歩き方     (2008/05/29例会で採択)
      私たちは、憲法 9 条を守り活かすという一点で手をつなぎます。
      私たちは、命とくらしを「憲法で守る」主人公になります。
      私たちは、個人として自立し、民主主義や人権を根づかせます。
      私たちは、学び、続け、大きなものに負けない力をつけます。
      私たちは、自分に出来ることをする「ハチドリ精神」で進歩に貢献します。
     2 活動のスタイル
      ① 例会(学習会)が基本。月1回は開く。3人以上で会は成立。
      ② 全員の会合にする=役員会はほとんどしない。
      ③ 各自のネットワークを最大限に生かす。働きかける相手を選別しない。
      ④ 月刊紙「Peace9久万高原」の発行(毎月9日発行)
      ⑤ 会計は、入会金とカンパでまかなう。
       ⑥ 他団体との連携を積極的に進める。
     3  久万高原9条の会の連携団体
     ⑴ 494・33元気塾
      ⑵ 久万郷を映像に遺す会
      ⑶ 持続可能な社会を創る会
      ⑷ 久万高原元気バザール
      ⑸ 久万高原遊山会
      ⑹ 面河渓を愛する会
      ⑺ 中津地区里づくり事業
      ⑻ 畑野川「花夢の里」づくり事業
      ⑼ 久万高原林研グループ
     4  会員の構成   (80人中)
         Iターン    15人
         Uターン    12人
         Jターン     2人
         Qターン     2人
     5 町づくりのコンセプト(基本的な考え方・原理・原則)
      ⑴一人ひとりの自由が保障され、誰もが人間として生きる価値を認め合う町でありたい。
     ⑵まっとうな生業が成り立ち、その持続可能性が確かである町でありたい。
      ⑶祖先から受け継いだ自然・田畑・山林・文化・生活文化が豊かに息づいている町ありたい。
      ⑷子どもも男も女も老人もみんなが、輝いて生きている町でありたい。
       * 他人に負い目を持ったり、何かに気兼ねをして生きたり、差別に耐えていたりせず、自らの
          人生を権利主体として生きている人ばかりの町でありたい。
      ⑸食住をはじめとした生活資材・エネルギーの地産地消を土台にして、まっとうな ものづくりが              
     定着し、地産外消に進む町でありたい。
     ⑹住民が主役で地域づくりを していく町でありたい。
      ⑺全ての地域に目の行き届く行政が行われている町でありたい。
      ⑻若者定住の促進と子どもの教育条件の整備を図り、多世代の安定存続が可能な町でありたい。(Uターンしたい自分の子どもたちが帰ってきて暮らせる町でありたい)
     6 産廃処分場設置を止める会
         (ピースナイン62号1面 64号2面 65号2面)
         (ピースナイン64号1面 65号1面 66号1面)
     7 町長選挙
         (ピースナイン64号1面 65号1面 66号1面)
     8  まとめにかえて
  生活者としての住民の力、科学的知見が決め手
    今回、産廃処分場設置の問題でも、町長選挙に対しても、議論はしても会としての行動規制はせず、個人の意志で動くことにしたが、大方の会員は活動的であった。産廃問題では、地元東明神で危機意識が強く、すぐ反対する会が結成され、それは自治会長会、JA生産部会、水利組合、漁協等々が反対署名を集めるようになり、燎原の火の如く広がり、5000を越える署名となり、決起大会、止める会の正式発足へとつながっていった。この問題では、日常の学習と行動のつながりが大きな力となった。特に、専門家の講演に学んだ科学的知見が決定的な威力を発揮した。
   諦めない無名の人の行動が山を動かす
   町長選では、現町長の無投票再選に現実味があったが、1カ月前に女性の立候補表明があり、圧倒的な地盤固めを終えていた対立候補に切り込む構図となった。選挙戦を戦ったことのない無名のおばさんやおじさんが「蟻の思いも天に届く」がごとき活動で、当選には至らなかったが、663票差まで追い込んだ。その後の例会その他では、「山が動いた」 と表現されることが多い。相手の地盤にも臆することなく、出向き、語り(対話し)、隠れた票の掘り起こしをしていった。不確かで、選挙目当ての意図的情報しか与えらていない人も、きちんと話したら分かってもらえるという確信を持ったことは大きい。活動した方々はお任せ民主主義ではない住民主役の地域づくりに一歩進んだことを実感したはずである。
 2012.05.29「ふるさと」はどこに
                                                                                        「湧水」


  ある会議でふるさと論議があった。その会議が行うイベントで小学唱歌・童謡「ふるさと」を歌うかどうかについてである。高野辰之の歌詞はよく知られているとおり、次のようなものである。
  兎追いしかの山 
  小鮒釣りしかの川
    夢は今もめぐりて
    忘れがたき故郷
  如何にいます父母
  恙なしや友がき
   雨に風につけても
   思いいずる故郷
  こころざしをはたして
  いつの日にか帰らん
   山はあおき故郷
    水は清き故郷
  日本列島では1961年、農業基本法が制定され、産業構造を工業化し、社会全体を都市化する高度経済成長路線に舵を切った。そのため、農村は工業化・都市化のため人材も土地も供給源となり、多くの農民やその子供たちが都市労働者・工業労働者として故郷を離れていった。そして、工場、道路、鉄道、住宅として、多くの農地も消えていった。工業製品輸出の裏支えをするために、小麦・大豆・飼料穀物などの大量輸入が始まり、単作化・大規模化が進み、大型機械と大量の化学肥料が投入されるようになり、ほとんどの農家が農業だけでは食えない時代が到来した。70年には前代未聞の減反政策が始まり、日本列島の農業は解体し農山村は過疎化・高齢化・「限界集落」に至っている。大量の日本人の故郷喪失、さらに今回は、東日本大震災により、人類史上最悪の原発事故が加わり、故郷喪失が悲劇的に加速した。童謡「ふるさと」を口ずさみたい気持は痛いほど分かる。
  大震災後、「がんばろう」「きずな」「ささえる」「元気にする」のオンパレードになった。しかし、ここまで日本の国土を汚し、国民を危険にさらした電力会社、原発を推進してきた官僚、政治家、御用学者とメディア、このペンタゴン(五角形)と裁判官のだれも責任を償っていないし断罪もされていない。それどころか、人類の危機を放置しながら、新しい安全神話を作り、生き延びようとしている。これを許す状況を作り出すために、メディアや行政は童謡「ふるさと」のような叙情性の広がりを利用しようとしているように思える。
  大阪維新の会と連携する松山維新の会は、13議席を占める市議会最大会派であるが、3月松山市議会定例会で、「国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議」を可決した。「日本人が心一つとなり、国を再認識し強い愛着を抱き、自国の国旗、国歌を敬愛し、誇りに思うことは、国の伝統や文化を尊重し、郷土を愛する意識の高揚に資すると共に、他国を尊重し国際社会の平和と発展にも寄与する態度を養うことにもつながる」としているが、「と共に」以下は格好をつける付け足しだろう。
  「ふるさと」は全ての人を暖かく優しく包み込んでくれるようなぬくもりや包容力を持っているかのようである。だが「ふるさと」もひとつの地域社会である。そこには、専制と隷従、格差や階層矛盾が存在しており、隠蔽することは出来ない。また、それらとの闘いなしに、社会は前進しない。「ふるさと」は無条件で「いい」のではない。いいところにする努力を必要とするところである。子どもや女は黙っとれ、よそ者はこの地に従え、年寄りは出しゃばるなという声が幅をきかす社会で、どうして人間として自立が出来よう。
  日本人は「怒り」が不得意だという。故郷を奪ったものは誰なのかはっきりしているのに、「お上」の「健康に直ちに影響はない」という「大本営発表」なみの欺瞞に眠らされて、思考停止を続けていたら、これほど愚かなお人好しはないであろう。
  原発は、稼働中でも停止中でも、人間の力で制御できないものであることが明らかになったし、原発までの入口のウラン鉱石採取の段階の放射能被曝は避けられず、原発から出る放射能ゴミの処理技術が全く存在しないことからも、脱原発(廃炉)の道しかない。大量生産・大量流通・大量消費・大量廃棄の巨大都市集中型の社会構造が原発事故を招いたのであるから、これからは、持続可能な食糧・エネルギーの自給自足をする地域分散型の社会構造に変えていかねばならない。
  日本国憲法は、9条と前文で「平和のうちに生きる権利」をうたいこんでいる。命の尊厳と個人の尊厳は等価であろう。これらをあざ笑うかのように、威勢のいい発言をする政治家が、西にも東にも、中部にも現れ、かなりの人々が拍手を送るようになってきている。いつか来たおぞましい道を再びたどってはいけない。
2011.06.05 原点と現点


  私が取り組んでいる「久万高原九条の会」の活動は、毎月の例会・学習会が最大の活動である。午後7時半から午後10時まで行う。テーマは、憲法九条をめぐる日本や世界の情勢、憲法誕生から今日に至る風雪にさいなまれた憲法とその憲法に命を吹き込んできた国民の闘いの歴史が主なものである。参加者は少ないときで10人あまり、多いときで20人あまり、最大の時が50人だった。
  次に力点を置いている活動は、機関紙「ピースナイン久万高原」の発行である。毎月、9日付けで、A4サイズ裏表2ページ立て、縦書き5段、カラー印刷で、会員と会員外に配っている。縦書き5段にこだわるのは読者を意識してのことである。日本語は縦書きが原則、読みやすくもある。作り手の都合を優先すれば横書きになろうが、どうしても親しみにくい。写真や図表も入れるが見やすくするのはレイアウトと見出しの付け方だろう。もう一つ、月刊制にこだわるのは、信頼をつなぐ意味がある。定期的に発行されて届けられて読者の信頼が得られる。「通信」を分析的に読めば「信を通わす」となる。
  これは、現点(現時点)の活動であるが、こうしたスタイルをかたくなに守っていることの第一は、若いときに学んだことが元になっている。大学時代に学生新聞部に属した私が大きな影響を受けたのは、議論の徹底であったし、その論議の中で自分も相手も変わるということであった。これを「学ぶ」というのだと思った。国民が一人でも多く学んでいかなければ、憲法を自分のものに出来ないし、憲法を活かしたり守ったり出来ないであろう。外交辞令の「学ぶ」は何も変わっていないが、本当の「学ぶ」には変容が見られる。「学びこそ力」というのは大学時代の活動が原点になっている。
  第二は、「継続の力」である。大学を卒業しても、学生運動を理由に就職できなかったときに、同様に愛媛県の教壇に立てなかった高校時代の友人二人と共に、サークル「青い実の会」をつくり、憲法記念日の5月3日から毎週土曜日の夜に集まり学習会を継続した。無力感に陥り未来に希望を見出せないでいた私には、この上ない励ましであったし、力をつける「学び」の機会となった。
  第三は、信頼を紡ぐことの大切さである。私は、現職時代、学級通信を、不定期刊で2年、日刊で5年発行し、学校便りは週刊で8年発行しつづけた。そこで悟ったことは、定期刊行でないと読者は待っていてくれないことであった。信頼を得る第一は約束の日には新聞が出ることだったのである。
  こうしたことが原点となって、今の活動(現点)がある。先日、「九条の会、大集合」という、愛媛県内各地の九条の会の交流会があったが、昨年・一昨年に比べても、参加団体が減少し、報告内容も活動に元気がないように思われた。私ども「久万高原九条の会」の報告が一定のインパクトを与え、注目されたが、注目に値するものは何もない。地味な学習会の積み上げと、機関紙の月刊と、口コミによる会員拡大くらいである。4月24日に第2回総会を開いたが、参加者約40人、会員は1年間で2.5倍になり、カンパは3万円余が集まった。5月3日の「愛媛憲法集会」で講師の三宅晶子先生が提起された内容はほとんど学習していた。しかし、掘り下げは浅いので学習をし直す必要は感じた。どういうアプローチをするか、考えるだけでワクワクする。これも「青い実の会」の仲間からもらったものだと思っている。むのたけじさんが、「たいまつ」の中で、「10代の後半、その時期は生涯で最初の、そしてたぶん最も深い分水嶺である。その時期になにを学んだか学ばなかったか、なにを経験したか、しなかったか、そのちがいは生活が先へ進むにつれて身にしみるだろう。」と言っておられるのが、原点と現点の関係であるが、私の場合は幸いであった。だが、学びに「もう遅い」はないだろう。
2011.06.05   古里と今里

 
      室生犀星は、「小景異情 その二」でつぎのようにうたっている。
  ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
 帰るところにあるまじや
  (後略)
     石川啄木には次のような歌がある。
  ふるさとの訛なつかし停車場の人混みの中にそを聞きに行く
  かにかくに渋民村は恋いしかりおもひでの山おもひでの川
  やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
      放浪の俳人種田山頭火でさえ、
  ふるさとはみかんのはなのにほふとき
 年とれば故郷こひしいつくつくぼうし
 よばれる草餅の香もふるさとにちかく
 の句を詠んでいる。
    紹介した三人とも異郷の地で過ごしている。生まれも育ちも「悲劇的」で人から愛されることのない環境の中で劣等感や憎悪ばかり強くし、反発と野性と剛直さを養ったという室生犀星は、故郷にも背を向けているが、他の二人は郷愁を抱いている。
  大江健三郎は、愛郷心(パトリオティズム) は、自分の心の中で大切に思っているもの、先祖以来作り上げられてきた風景を、美しい、いいところだと感じる、好きだと思う心だといい、そのいいもの、懐かしいもの、美しいものを回復させようとする努力を生み出すものだとしている。さらに、その努力は、地域自身でやるのが主であり、都会へ出て行った人間は協力する義務があると論じている。

  「郷土」とは、生まれ育った産土(うぶすな)であり、住んで働く「風土」であり、生活の共同体である。そこを離れて住み、働けば、「郷土」は「故郷」となり、離れた場所は、「異郷」(「異土」) となる。
  私は、どこの地域社会にも、専制や隷従、圧迫や差別があることを無視することができない。そうしたものが当然の秩序であるかのように振る舞うことも、そうした矛盾を隠蔽して、ふるさとはほんわかとしたぬくもりのあるものとして包み込んでしまうことも賛同しかねる。一人一人が地域の主体となって営み、動かす主体であることを自覚していくことが大事だと思っている。
  私の郷土は、そう離れてはいないが小田であり、異土・久万に住んでいる人間であるが、私は古里への努力をせず今里(現里)のことばかり考えている。自分の住んでいる地域社会をよくする努力をする主力は、大江健三郎のいうとおり、そこに住む地域人自身であり、他地域に住む人々はありがたい協力者である。

   こういうことを根拠に、私は、かねてから、いろいろな提言をしてきた。
1 久万高原には、手つかずのあるいは手つかずに近い自然資源がたくさんある。多忙そのほ  かで地元の住民が知らなかったり、良さがわからなかったりしている。それを知ってもらい、味わってもらって、他地域にも発信してゆきたい。
  ①山・森・花=石鎚山系・皿ケ嶺ー石墨山系・中津明神山系・大川嶺山系をはじめとした山々は  優れた自然資源である。
  ②河川・渓谷・滝・淵=面河川・仁淀川は四万十川に劣らない清流、渓谷は深く刻まれ複雑多彩である。ご来光の滝・権現滝・遅越の滝等有名無名の滝・淵が豊富である。
  ③高山性の貴重な木の花・山野草の花が豊富である。
2 古来特異な発達を遂げた歴史と文化を持つ地域として、地域住民自身がそれ を知り、継承保存してゆきたい。
  ①上黒岩岩陰遺跡に見られる縄紋文化の始まり
  ②伊予の僻遠の地としての特別な発達を遂げた地域史
  ③大宝寺・岩屋寺をはじめとした仏教文化と遍路文化
  ④大除城をはじめとした中世城館跡
  ⑤土佐街道(土佐道) の特定
  ⑥久万山真景絵巻に描かれた地域の特定
  ⑦久万山の位置・地形・気候等の条件により、 特異な発達を遂げた山里(里山)の景観  と労働・民俗の記録保存
 ⑧「久万山騒動」「内の子騒動」を中心とした百姓一揆
 さきに、地域社会をよくするのは地域住民自身だと述べたが、地域住民団体は山ほどある。しかし、行政によって組織された団体はどうしても限界がある。そこで私は、この指とまれ式で集まった任意の個人でグループをつくって活動している。一つは、久万高原遊山会、もう一つは、久万高原九条の会、前者はまもなく十年を迎え、後者は4年を迎える。どちらもちっぽけなグループだが、月1回の例会と学習会、機関紙の発行を継続している。地味でも継続したら力になる。そして誘う対象は選別しない。趣旨に賛同してもらえることとその人にできる協力をしてもらうこととが条件である。
  1の①②③と2の③④⑤⑥はすでに実施に移っているし、2の④⑤⑥は町の支援も受けるようになっている。これらすべてに通じることだが、アクセスをよくすること(道の整備・標柱立て・ガイドマップの作成)とガイドの育成が急務である。行政に文句ばかり言っても始まらない。思いついたアイデアは提言し続け、できることからボランティアででも始めていけば、協力者は自然と増えてくるし、行政も援助せずにはおれなくなる面も出てこよう。

   今朝の愛媛新聞(2011・4・19)にスウェーデンの言語学者H・ホッジさんへのインタビュー記事が載っていた。彼女の著書『ラダック 懐かしい未来』は読んでいないが、これをもとにしたドキュメンタリー映画『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』のDVDは手元に残っている。著書はヒマラヤ山脈西端にあるラダック地方の近代化に染まらない村の暮らしを描いたものだというが、私の見た映画は、それと共にグローバリゼーションに荒らされ、崩壊してゆくラダックが描かれていた。ホッジさんはローカリズムを主張し、その推進に国や自治体の積極的な関与が不可欠といっている。しかしながら現状は、国も自治体もローカリズムの維持発展に消極的というよりも否定的でグローバリズムにシフトを移している。

  大学時代の恩師であり、本誌『湧水』の銘をいただいた篠崎勝先生は、『地域社会史論』を提唱され、住民の記録係を自称して地域社会にしがみついた歴史運動を展開された。できの悪い、不真面目な学生だったが、「ここに、生き、住み、働き、学び、たたかい、ここを変える」に近づこうとして、もがいている。
2011.05.03 5.3愛媛憲法集会の意義


 65年も前にできた日本国憲法前文は「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とし、九条による不戦・非武装の「平和国家」構想と、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という二五条の「福祉国家」構想を打ち出しました。60有余年の憲法史は、改変側とそれを阻もうとする勢力の綱引きの歴史であり、実質軍事同盟である安保条約と実質軍隊の自衛隊を許し、アメリカや財界の「軍事大国化」への要求を呑みながらも、今日まで戦争当事国となったことが一度もなく、自国の戦争で一人の命も失ったことがありませんし、「非核三原則」「武器輸出三原則」「専守防衛」など一定のタガをはめてきました。
 一方、二五条の福祉国家構想は、政権側から具体化されることはなく、1950年代の朝日茂らによる裁判闘争、1960年代後半からの革新自治体による福祉国家の追求(蜷川京都府政は50年代から7期28年)などで具体化されましたが、人間らしく生きるのは個人の権利として当然という考え方はまだ成熟せず、正反対の「自己責任論」が幅をきかせています。そして、新自由主義に基づく「構造改革」でワーキング・プア・自殺者・貯蓄なし世帯・離婚者・児童虐待・犯罪等の増加を生み、反貧困の運動が高まっています。
 九条が、国家が立ち入ってはならない領域を定めた「してはならない」条項であるのに対し、二五条は国家の出動を義務づける「しなさい」条項なので、条文の趣旨を具体化する立法を図らねばなりません。これまでの成功の歴史は、政党・労組・市民が共同して、政府方針の対抗軸を作ってきたこと、最近では、個人の主導(主動)が、豊かな活動と広がりをつくり力を生み出している点が特徴といえます。
 10年前の9.11は戦争への転換点となりましたが、今回の3.11は平和と福祉への転換点にしなければなりません。人間らしく生きる権利を自分のものにして立ち上がるなら憲法は力を発揮します。黙っていないで声に出しましょう。近くの人に話して動いてみましょう。今日を、広がりのある運動の出発点にしましょう。
2011.01.15 新県政に望む


現場の声を聞いて教育に打ち込める条件整備を
 中村新知事が誕生した。選挙段階での愛媛新聞「候補者アンケート④教育」の中村氏の項では、
①「確かな学力」「豊かな人間性の育成」。
②特色ある学校づくりを進める。
③研修制度の充実による教員の資質向上。
④民間人の校長登用の検討。
⑤教育委員会の政策立案能力の強化
等が掲げられている。
 私は次のことを要望したい。
①  落ち着いて教育に取り組める学校になるよう、条件整備を進めてほしい。30人学級 の実現には予算措置を要するが、調査報告・提出文書の削減、出張研修の削減、学力テ ストの中止などは出費削減にもつながる。
②  現場や当事者の意見を十分聞いてほしい。
  教科書採択権は教育委員会にあるという根拠は、地教行法23条6項「教科書その他 の教材の取扱に関すること」とされるが、
  教育委員の現実は採択能力を持ち合わせているとは言い難い。現場の教員でも専門外 となると難しい。教科書を実際に使う現場教員の意見を尊重することが大事だと思う。 学校の統廃合も同じことがいえる。行財政改革の視点だけが先行し、学校・学級規模の 大小で学力格差が生まれるというのが教育論的根拠となっているが何ら検証されていな い。小さくてもあるいは小さいからこそ輝く学校が育つ可能性は捨てきれない。
③  「特色ある学校づくり」「民間人の校長登用」は、その裏に新自由主義的な競争原理 が見え隠れするし、子どもも先生も学校も商品化するような考えがあり、賛成できない。 このための評価主義、数値化・ランク付けは慎むべきである。現に、児童の読書感想文 を教師が書いて清書だけさせて提出したとか、美術や技術の作品に教師の手が加わって 入賞を果たしたなど「成果主義」の歪みが数多く聞かれるようになっている。同僚性の ない教員に育てられた子どもたちが他人と協力して世界をよくしていくような人格には 育ちにくいだろう。
④  「教育委員会の政策立案能力の強化」は行政が教育に介入・支配することにつながら ないか。松山市長として「坂の上の雲」町づくりで教育を動員した動きを見ても心配に なってくる。
2010.05.03-愛媛憲法集会での閉会挨拶
                             代表委員  古田 隆


  本日は、多数の方にお集まりいただきありがとうございました。この集会の意義につきましては、お手元の冊子1ページに記されている大内代表委員の文章が的確に示しているように、「戦力の保持と武力行使を禁じた憲法9条や最低限度の生活を保障した憲法25条が事実上無視されている現実」を変え、「憲法の理念を生かし実現すること」に一歩でも前へ踏み出すことにあります。
  これらのことを土台に、本日の集会は、第1部で「若者のステージ」を設定しました。小学生の環境問題報告、若者の各種演奏や踊り、学生の路上生活者の現状報告、若い人たちのセンスやパワーを中高年の者も取り込みたいと思ったからでした。
    こうした事柄を考えるとき、私には、6年前の出来事が思い起こされます。宮崎県の高校3年生、今村歩さんは、イラクへ向かう陸上自衛隊にいてもたってもいられなくなり、「ぜひ武力を使わない支援を」と訴え、5000人を上回る署名を集めて上京、小泉首相宛に届けたのです。小泉首相は、請願書も署名も読んでいないと断りながら、「自衛隊は平和的に貢献するんですよ。その辺を学校の先生もよく生徒さんに話さないとね」と教育現場に注文をつけています。河村建夫文科相は「法的根拠もあるのだから、事実に基づいて教えていただくことが大事だ」と後押ししています。これらの発言の背景には、「子どもは大人に従うもの、学校は子どもの思想も操作できる」という考え方があるように思えます。
  ただ今は、本日の活動の集約として、「5.3愛媛憲法集会宣言」が採択されました。「抑止力論」と決別した9条による平和、核廃絶、25条が示す生存権に基づく社会保障制度の是正、を目指そうと確認いたしました。また、本日の講師、斉藤貴男さんからは、9条と25条が、理念と現実の両面から根底ではどうつながっているか、それらの情勢にストップをかけるには個人の尊厳、精神の自由、表現の自由が最大限尊重されなければならないことが解き明かされました。
  本日学んだものは、大きかったと思います。いい話だった、いいことを学んだで終わったのではどんな力も生み出しません。かつて日本婦人団体連合会会長を長く務められた櫛田ふきさんは、「沈黙は共犯」が持論でした。「生きることは行動すること。ただ息をすることではありません。願うだけでなく、行動しましょう。」と訴え続けられました。本日の集会はこれで終わりですが、自分の思っていること、考えていることを周りの人に話してみましょう。相手の反論があったら、再反論してみましょう。相手も変わりますが、自分も変わります。明日から、またがんばりましょう。
2010.03.25 特定秘密保護法案とは


    暗澹たる気持ちが日増しに強くなる。特定秘密保護法案や日本版NSC設置法案は今国会で成立の見通しだというし、本命の集団的自衛権行使を可能にする国家安全保障基本法は来年の通常国会に提出され、両院共に過半数を占めるようになった政府・与党は押し切って成立させるという。これらが法として成立すれば、自衛隊が海外で制限なしに武力行動をするようになり、日本は平和国家でなくなり、シリア攻撃の断念にみられるように、イラク戦争を経て、軍事力で問題を解決する時代を脱却しようとしている国際社会の動向からも取り残され、孤立した存在になろう。
  その根本に、全く誤った考え方がある。これらの法案は、憲法破壊の法案であり、違憲の法案であり、歴史的に確定している、憲法で権力を縛るという立憲主義に背くものである。
  今国会で審議されている特定秘密保護法案の大きな問題。
①防衛・外交・スパイ防止・テロ防止に関わる情報のうち特に秘匿が必要 なものの漏洩や取得に厳罰を科すもの。
②憲法9条で「戦力を保持しない」日本に「軍事機密」が存在するのか。
③表現の自由が大きく萎縮してしまう。
④何が特定秘密か分からないから、公務員は情報公開をしたがらず、現 在以上に闇から闇に葬られる情報になってしまう。 
⑤憲法31条・刑法の大原則である罪刑法定主義に則らず恣意的に運用 される危険がある。何が罪になるのか明らかでない。
⑥裁判官は証拠の取り扱いが難しいし、弁護士は特定秘密にアクセスし にくいし、国会議員は行政監視の活動ができなくなるし、司法と立法の 機能が弱まり、行政だけが強くなり、三権分立は崩れ、民主政治は成 り立たなくなる。
⑦自衛隊や警察の監視が強まり、人権は制限され、自由な空気は世の中から消え、一般市民は政治に関与することを避けるようになる。
2007.08.24記   日本国憲法のすばらしさ

 私は、近代の憲法というのは、一人一人の個人を守るために、権力を持つ者を法律で縛るものだと思っている。その意味で、日本国憲法は、前文も、一条から四十条までのほとんども政府の権利を制限している。大日本帝国憲法が天皇と天皇政府の権限を絶対的なものにし、国民を飢えと戦争に導き、東アジアを中心に搾取と破壊と殺戮をくりかえしていったことと比べてみると、いかにすばらしいものであるか明らかである。
 第二にすばらしいと思うのは、憲法前文第二節の「われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と、九条の戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認とがあいまって、世界の憲法史上初めて、戦争目的・軍事目的のために自由や人権を制限・侵害されないという「平和生存権」を認めていることである。
 そして、第三に、日本国憲法のすばらしさは、「憲法を守る運動」から「憲法を実現する運動」を生み出し、理想主義の法典に魂を入れる営みを作り出したことである。朝日茂さんの二十五条最低生活権の保障訴訟、家永三郎さんの教科書訴訟、砂川・百里などの基地反対闘争、殊に、砂川訴訟では日米安保違憲判決、恵庭事件無罪、長沼ナイキ基地訴訟の自衛隊違憲判決を勝ち取り、安保反対闘争は全国各地で数千のデモや集会が実施され戦後最大の民衆運動となり、以後改憲を口にするのが難しい状況を生み出した。
 しかしながら、今日、自民党は『新憲法草案』なるものを発表し、第一に述べた立憲主義を捨て個人の権利を抑え公益及び公の秩序を強調し国家の権利を拡大しようとしている。九条も、平易に言うと、「戦争はしません。だから軍隊を持ちません」から「戦争はしません。しかし自衛軍は持ちます」になり、自衛の口実で戦争ができるので、第二のすばらしさも消えてしまう。いつか来た道である。
  戦後長い間、日本人の多くは都市空襲や原爆投下など敗戦間際の被害者意識に基づく平和主義が支配的で、同胞の沖縄の辛苦にも共感する意識を持てず、ましてや明治維新以来の東アジア侵略の加害の事実には目をそらしてきたように思う。侵略者であった加害の償いが平和運動の視野に入らない弱さが、今日の靖国参拝への対応や改憲論を容認する意見の中にくみ取れるような気がする。
 歴史はうそをつかない。戦争はいつも「自衛のため」という名分で遂行された事実、軍隊は国家・国体を守るもので国民を守るものではなかったことを示す沖縄での皇軍の所業、ソ連の満州侵入に対する関東軍の無責任、武力よる平和はいまだ中東問題を解決していない事実、ドイツの戦争責任の償いから始まったEUの誕生に至るこれまでとこれからは戦争の可能性がない現実、これらを確かに捉える眼を持ち、もう一度だまされる国民にはなるまい。
 今、戦争をしない、戦争に加担しない、海外派兵をしない、といった「しない平和主義」から、テロも戦争も裁判にかけよう、NGOで学校をつくろう、東アジアに平和の枠組みをつくろう、などなど、今までになかった「する平和主義」の運動が起こっている。そうしたしなやかな知恵にも学んで、なんとしても改憲を阻止したいものである。
2007.06.03 二足の草鞋
                     (「湧水」)
                        
  二つの大病をして、人生観が少し変わった。四年前の左上葉部の肺ガン摘出手術、二年前の鬱血性心不全、残る人生が確実に短いことを悟った。長いばかりがいい人生ではない。短くても質のいい人生を探らねばならぬ。ならば、「言いたいことを言う」から「言わなければならないことを言う」に、「したいことをする」から「しなければならないことをする」にシフトを移していこうと考えた。
  これまでも、言わなければならないことを押し殺してばかりはいなかった。しなければならないことをためらってばかりではなかった。しかし、世の中の「流れに逆らわないでいさえすれば安心が得られて、面倒に巻き込まれることもなく、生活も安全である」(フランク・パヴロフ『茶色の朝』) という気持ちに支配されていたことを全くは否定できない。ならば、残る人生、旗幟鮮明に生きてみよう。
  去年の年賀状にはこう書いた。
 「(前略)さて、1945年日本人の平均寿命、男23.7歳、女32.3歳。戦地でも内地でもおびただしい人が亡くなった結果です。日本の軍人軍属の死者の6割は餓死。『生きて虜囚の辱めを受けず』がその理由。『あの時代が正しい、あの時代こそ日本、あの時代に戻そう』という声が大きくなっていますが戻してなるもんですか。」
  今年の年賀状には次のように書いた。
 「二足の草鞋を履いて歩きました。一つは久万高原遊山会、もう一つは憲法九条の会。前者は健康づくり、仲間づくり、生き甲斐づくりを目指すもの。二十五人の会員で毎月一回の山歩きを楽しみました。後者は憲法九条、殊に二項の『武力によらない平和』を続けようというもの。世界に誇れるものを絶対に変えてはいけない。…」
  2005年1月1日付け『愛媛新聞』は「戦後60年愛媛ー平和のかたち第三部教育」で、「教育委員会」の独立形骸化に関する特集をし、「行政の教育への介入を公然と批判する」私へのインタビュー記事を掲載した。2006年8月19日発足の『愛媛教育関係者九条の会』には準備段階から加わり、代表世話人の一人として動くようになった。2006年11月5日付けの『愛媛民報』の「アイラブ憲法」には「歴史に学び、まただまされる国民にはなるまい」を投稿した。 そして2007年4月26日には、2年近くの学習会を積み上げて、『久万高原九条の会』を立ち上げた。この会では、「(前略)もうすでに日本は『戦争のできる国』になりつつあります。歴史の教訓をかみしめ、『わたし一人がどんなにがんばったところで…』とあきらめず、『憲法九条を守る』この一点で、自分にできる努力を積み重ねて協同していきましょう。」というアピールを採択した。
  さきほど、二足の草鞋を履いて歩いたと述べた。『岩波ことわざ辞典』によると、「二足の草鞋は履けぬ」と本来は両立しがたい二つのことを行うのに使われたが、現代では、同時に二つのことをする意で用いられるようになったという。私の二足の草鞋はもちろん後者で、矛盾するものは何もない。それどころか、久万高原遊山会は、外部からの援助は受けない自主・自立の団体であるが、内部では協力と援助の関係で結ばれており憲法九条の理念と相通じるものがある。今日も、5月例会の目的地「大座礼山」(高知県大川村1588m)の下見をして帰り、この原稿を書いている。私は、どちらの草鞋を履くのも楽しい。