2017年12月8日金曜日

2015.05.31 サクラに思う
                                  「湧水たより」


  今年もサクラがきれいに咲いた。山桜、エドヒガン系、ソメイヨシノ、シダレザクラ等々どれも美しい。家族や知り合いの家族とともに、サクラ見物に各地に出かけた。
  サクラは美しいのだが、どうしても連想させられることがある。一つは、「同期の桜」の歌にある勝つことを考えていない犠牲。海軍特攻隊「神風」潜水魚雷「回天」どちらにも搭乗員の救命装置はなく、確実に死をもたらす兵器であったことである。そうした死を美しいサクラの花の散るのに象徴させ、美しい生き方を強く望んだに違いない若者を、その生き方と対立するはずの「自国に対する責任」という、死と同義の行動に駆り立てたのである。
  特攻隊員の戦死者は3843人とも3349人ともいう。職業軍人たちは出撃を志願せず、学徒兵や予科練生だけが死地に送り出された。彼ら若者の残した膨大な手記からは、美しい理想に燃えた若い命の実例が満ちあふれているという。ユートピア的理想主義、ロマン主義、マルクス主義、コスモポリタリズムを追求したのまであるとのことだ。
  サクラに関する私のもう一つの思いは、44年6月に戦死した父のことだ。父の死後、先輩だった方から、短冊の色紙が送られてきた。そこに書かれていたのは、「散る桜残る桜も散る桜」とあった。良寛の辞世の句との説もあるが、別の本には「裏を見せ表を見せて散るもみぢ」が辞世の句とあったので、真偽のほどは分からない。
  美しいがゆえに、誰にも好かれるがゆえに 、サクラは軍国主義化の象徴となった。特攻隊の若者も私の父も、平和な社会に生きていたら、いい仕事をしたのではないか。社会の進歩や人々の生活向上になにがしかの貢献をしたのではないかと思う。
  桜の花の歪曲を図り、 多くの人を殺した大罪は権力者の側にあることは言うまでもないが、力のない私ども一人ひとりが、気がつかないうちに悲劇を導く道に荷担していったことも心して、実生活を営みたいと思っている。
  美しいものは利用される。サクラだけではない。文学も音楽も演劇も映画も建築も……。
 参考文献 大貫恵美子 著『ねじ曲げられた桜ー美意識と軍国主義』  (岩波書店) 4000
                          円+税  (600ページにわたる大著、腰を据えないと読めない)

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