2017年12月8日金曜日

2013.04.01 安倍首相の「新しい国へ美しい国へ』完全版


  安倍首相の著書、『新しい国へ 美しい国へ完全版』を読んだ。この本で、安倍首相は、日本国憲法前文を「へりくだった、いじましい文言」と評価している。なぜそんなふうに感じるのか、私にはまったく理解できない。
 日本国憲法は、前文の末尾において、みずからを「崇高な理想と目的」と呼んでいる。まさにそのとおり、私は、安倍首相とは反対に、日本国憲法は、身分不相応な程に大きな志であり、大望だと思う。
 どういう考えで安倍首相は「いじましい」との評価を下したのだろうか。同書を何度も読み返し、安倍政権の他の言動とも突き合わせ、試行錯誤した結果、ようやく一つの仮説にいきついた。
 安倍首相のいう「戦後レジーム」とは、「敗戦国日本が欧米に懲罰的に軍事力を取り上げられた状態」のことを言っているのではないだろうか。「戦後レジームからの脱却」とは、「軍事力を許してもらい、欧米列強の仲間に迎え入れてもらうこと」ではないだろうか。日本を欧米の下に見ているが故に、安倍首相は卑屈なほどに迎合的なのだ。つまり、考え方の根本は、未だに脱亜入欧なのだと思う。
 しかし、日本国憲法が謳う「崇高な理想と目的」は、欧米列強並みというような、低い志ではない。
 欧米、わけても米国は、口では美しい理想を説きながら、みずからの利害のために自己正当化をしつつ軍事力を使うことを恥としない。Aを押さえるためにBに兵器を送り、Bが強くなりすぎたら、Cを軍事支援する。挙げ句にCを無人機で攻撃する。あちこちに紛争の火をつけ、おびただしい数の女性や子どもを巻き添えにしている。
 日本国憲法の「崇高な理想と目的」とは、日本の国益というような小さなものではない。日本だけでなく、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」そういう世界を築き上げることである。全力をあげて、これを達成することを、我々日本国民は、国家の名誉にかけ、憲法前文において誓っているのだ。つまり、日本国憲法は、欧米のレベルのはるかに上を目指しているのである。
 日本国憲法に対して、「世界の現実に対応していない」と批判する人がいる。そんなことは百も承知だ。日本国憲法はみずから「崇高な理想と目的」と名乗っている。現実に妥協するのではなく、理想とする理念を高く掲げ、それに向かって世界を、当然欧米も含めて、引っ張っていくのである。フランスの人権宣言やアメリカの独立宣言が、当時は非常識であったであろう理想を掲げ、世界をそこへ引っ張っていったように、日本国憲法は、軍事力を用いることが恥である世界、世界中の人々が恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに暮らすことのできる世界の実現を掲げ、そこへ世界を引っ張っていくことを誓っているのだ。
 この崇高な志を理解できず、「普通」の国、軍事力にものを言わせて女性や子どもを犠牲にして恥じない国の仲間に入れて欲しいという願望こそが、いじましい。このような人物が、崇高なる日本国憲法を、「普通の」、志のない凡俗なものに変えようとしている。嘆かわしいことだ。許してはならない。

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