2017年12月8日金曜日

2013.04.16 憲法が危ない


  昨年末の総選挙で、「日本国憲法改正草案」を掲げ、改憲をライフワークとする安倍氏を総裁に戴いた自民党を、有権者が選んだ。これで憲法が危なくなったのだが、頼りない国民、危ない国民になってきたことが根幹の問題だと思う。
 全体主義(ファシズム)は民主主義の手順を踏んで出てくる。善意の民衆を作り、「みんなのため」「社会のため」といって仕組みを作っていく。1928年のドイツではナチスが2.6%の得票だったが、30年の選挙で18.3%、33年3月の選挙では43.9%、33年11月の選挙ではナチスのみの出馬で92.2%、独裁体制となった。全体主義は「今から制圧する」とか「弾圧する」なんていわない。気がついたら全体主義になっている。今だって、「私たちは平和が嫌いです」とも「戦争をやります」ともいわない。
  しかし、自民党が昨年4月27日に決定した「日本国憲法改正草案」は、第1に、天皇の元首化、国旗・国歌・元号も規定し保守的・復古的性格のものである。第2に、国防軍の設置・利用、現9条2項を削除して集団的自衛権の行使を可能にする、平和主義の根本的改変。第3は、国民は「個人」として尊重されるのではなく「人」として尊重されるに変わっている。「自由な意思を有する自立的主体=強い個人」から「他人に迷惑をかけない人」に変わり体制迎合に向かうことになろう。政教分離の緩和、結社の自由の制約、労働基本権の制限など人権保障は弱体化して、国民の生きづらさが増してこよう。
  世の中の大勢に、口をつぐんで自己規制したり、無関心と決め込んでいたりしたら、早い時期に全体主義になってしまう。おかしなことには黙っていず、きちんと意思表示をしていくこと、わからないことは聞いてみる、調べてみる、学んでみる、そして、自分の考えていることを、反対しそうな人にも伝えて対話してみる、こうした国民が増えない限り、日本の未来はないように思える。
  ある人の言葉に、「批評家になるな。いつも批判される側にいろ」というのがあったが、私は、評論家でなく、運動家でありたいと思う。

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