2018年9月2日日曜日

平野自治会田休み会での活動報告 2015.6.21
         田舎の価値や力を生かした地域づくり
                                               久万高原町住民   古 田   隆
0  はじめに
    ふるさとはどこ
     私という存在
1 映像視聴
      「よみがえれ 天空の里・中津」 久万郷を映像で残す会 2012年制作
2  日本創成会議「消滅可能性都市」の波紋
     「愛媛新聞」2015.3.1  全国首長アンケート あきらめと絶望に陥らない
    自治体消滅の危機感を強く抱いている。内子町 久万高原町
3  私と地域との関わり
    ⑴ 久万高原遊山会
     ⑵ 面河渓を愛する会
     ⑶ 久万高原産廃処分場を止める会
     ⑷ 久万高原郷土会
     ⑸ 退教協中予支部久万高原分会
     ⑹ 久万高原9条の会
   ⑺ 名画鑑賞会 
    ◆私と別のところで行われている民間地域事業
     ◎ 中津地区里づくり事業
        ◎ 畑野川「花夢の里」づくり事業
4  地域の宝は何か
  ⑴ 見つける
  ⑵ みがく
  ⑶ 中国山地の「〇分の一運動」(何もないところから一歩踏み出てみよう)
5  住民自身が
     ⑴  ここはいいところだと思う
  ⑵  いいところにするよう精出している人がいる
  ⑶ 村(町)おこし運動の中で人材が育つ
0  おわりに     
  ⑴ そこに生きている者が力になる。
  ⑵  役場や県や国に頼るだけでは良くならない。
  ⑶  都市と農村の共生
  ⑷  学校は地域の宝ー統廃合に賛成しない住民の気概
        ▼ 財政問題を背景に国策で、田舎から学校が消え、地域が廃れ、都市だけに人、モノ、カ            カネが集中する社会か。
        ▼ 田園回帰の芽をはぐくみ、田舎も都会も多様な地域が共存できるような社会か。


家族・弟妹たち

みな元気でいるか。
かねて言うていたとおり、清盛寺との檀家関係の解消をした。
従って、隆や昭子の死亡に際しては、
医師の死亡診断書
役場への死亡届
埋葬許可書
火葬場利用許可
納骨は吉野川の古田家の墓に
葬式はしない
戒名なし
ごく近い家族・親族で弔う
死亡通知はしない
弔問・香典は受けない
そのほか細かいことは後日に述べる

傘寿を期にすべての役職から去る


1  人生の冬支度をする
  ① 身辺整理
  ② 本、書類の整理
  ③ 葬式をしないことの伝達
    ア 妻、子ども、弟妹
    イ 檀家関係解消
2 久万高原9条の会
  ① 次の総会ですべて退く
    ア 共同代表
    イ ピースナインの印刷
    ウ タックシールの印刷                            久万川の援助を受ける
    エ ネットメールアドレスへの送信
  ② 闘いは止めない
  ③ 今後のあり方
    ア 会のつくってきた理念(コンセプト)  守り抜く(ぶれない)
                            方針(ポリシー)    組織原則を守る
                            歴史(事実・真実)
                            記録(記憶より大切)
    イ 大衆性・創造性の発展
    ウ 後継者の育成
    エ 弱点の再学習(歴史=近代史・現代史)
3 名画鑑賞会
   継続
   休止
   中止     

    名画鑑賞会の歩み
                        
はじめに
  「映画は芸術であり、同時に人間愛を学ぶ教育です」といったのは淀川長治である(ビデオでみ   たいベスト150)。映画は、基本的にはフィクションであり、歴史という縦糸、国・地域・家庭といった
個人の置かれている存在を横糸にして、人間の生き様が紡がれている。その生き様に共感したり、共感できなかったり、泣いたり笑ったりしながら、人間のありようを学んでいる。日本にも外国にも、評価の高い名画は沢山ある。
  そうした名画を鑑賞して、人間としてのありようを少しでも学べたらと思って、ささやかな営みをし  ている。私が録画したり、購入したDVDをテレビの画面で見るチャチなものである。私の選択眼として、正義と真実と人ひとりの重さをくみ取ることのできる映画と、「一人の市民として」どうなんかを考えさせてくれる映画を選考基準にしている。

毎月開催 
  毎月第4木曜日、午後7時上映することにしている。入場無料の小さい集まり、会員制にはしていない。ご自由においでください。会場は入野福祉館(089--21-1744 久万高原町入野277)である。す。

これまでの実施記録
14年
  3月6日 二十四の瞳      木下恵介監督
  4月3日 ひめゆりの塔   神山征二郎監督 
  5月1日 アニメはだしのゲン  高畑勲監督
  6月4日 黒い雨       今村昇平監督 
  7月3日 生きものの記録    黒澤明監督
  8月7日 プラトーン    O・ストーン監督
  9月5日 満蒙開拓青少年義勇軍 NHK
   10月3日 また逢う日まで    今井正監督
   11月6日 郡上一揆      神山征二郎監督      (予定していたが流会)
15年
     2月21日 禁じられた遊び ルネ・クレマン監督
     4月18日 人間の条件1 小林正樹監督 仲代達矢
     5月23日 それでもボクはやってない 周防正行     監督
     6月20日 7月4日に生まれて  オリバー・ストーン監督 トム・クルーズ主演
     7月18日 草の乱 神山征二郎監督 緒方直人主演
     8月22日 第五福竜丸   新藤兼人監督 宇野重吉
     9月22日 裸の島   新藤兼人監督 乙羽信子主演
   10月27日 生きる 黒沢明監督 志村喬 小田切みき
   11月24日 幸福の黄色いハンカチ 山田洋次監督 高倉健 倍賞千恵子
   12月22日 武士の一分        山田洋次監督
 16年
     2月2日 火垂るの墓          高畠勲監督
     2月23日  赤ひげ  黒沢明監督 三船敏郎 加山雄三
     3月22日  たそがれ清兵衛 山田洋次監督 真田広之 宮沢りえ
     4月26日  キクとイサム   今井正監督
     5月24日  シャル・ウイ・ダンス? 周防正行監督 役所広司 草刈民代
      6月28日  荷車の歌 山本薩夫監督 三國連太郎 望月優子
      7月26日  中止
      8月30日 青い山脈 今井正監督 池部良 杉葉子
      9月29日  続 青い山脈
    11月22日  若者たち
    12月22日  キューポラのある町  浦山桐郎監督 吉永小百合 浜田光夫
17年
   1月26日  母べえ  山田洋次監督
   3月23日  不毛地帯 山本薩夫監督
      5月25日  サンダカン八番娼館熊井啓監督 
      6月22日  金環蝕   山本薩夫監督
      7月27日  地の群れ   熊井啓監督
      8月24日  日本と再生(原発に依らないエネルギー)
      9月28日  戦慄インパール    NHK
    10月26日  チャップリンの独裁者
    11月23日  ダンス・ウィズ・ウルブズ ケビンコスナー監督
    12月28日  西部戦線異状なし ルイス・マイルストン監督
     














2017年12月8日金曜日

 2017.05.29 改憲問題と主権者を育てる教育
                                         (「湧水」)


  久万高原9条の会例会で、自民党改憲草案で、現憲法97条がなぜ削除されているか議論した。97条はこうなっている。

   「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成 果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

  基本的人権の永久不可侵性を宣言したもので、次の条で、最高法規性を規定している。

97条削除の問題ー1
 この改憲草案は、現憲法98条と同じで、最高法規の根拠である現憲法97条との連続でこそ意味があるのであり、現憲法97条削除では最高法規の根拠を示したことにならない。立憲主義的憲法の価値は、人権の保障にあることを明確にしない最高法規規定は立憲主義の本質を欠いているというべきだろう。

97条削除の問題ー2
 私は、中学校の歴史教育に携わった一人として、もう一つの問題を提起したい。現憲法97条の「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」という表現と「過去幾多の試練に堪へ」という表現の歴史的重みを、自民党は消したかったのではないかということである。
  本多公栄著『生徒と共につくる社会科の授業』(74年明治図書)で著者は、中学歴史の授業について次の意見を述べておられる。
イ たえず民衆の立場に立ちながら、民衆自身ならびに為政者側の歴史を学ぶ。
ロ 日本やアジアに視点をすえながら世界諸民族にも目を広げる。
ハ 日本と世界の歴史がどう未来に向けて進んでいるか、進めていくかを学ぶ。
  私もイ項を強く意識し、特に「民衆の立場に立」って史実を掘り起こし拾い上げて歴史の授業にとりくんだ。そこから必然的に「人類の多年にわたる自由獲得の努力」を描くことになったし犠牲の多い「試練」にも触れなければならなかった。それでこそ歴史を進めた、歴史が進んだといえるのではないか。現在の自民党や内閣は、歴史を後戻りさせようとしている。抵抗権の根拠にもなる現憲法の97条は邪魔でしょうがないのであろう。修正を通り越して削除である。

 主権者を育てる
 もう一つ重要な本がある。安井俊夫著『主権者を育てる公民の授業』(86年あゆみ出版)である。
  著者は「まえがき」で「最近、子どもの中で『異論』を唱えることが少なくなったように思う」と。あえて自説を持ち出すことをせず、それに従うまでという雰囲気が強いのだという。本来、関係が成立するには、こちら側に「自分」があり、相手方にも「自分」が存在し、それが結ばれていくはずなのに、今の子どもたちの人間関係は、そういう「自分」と「自分」のつながりになっていない点だと分析している。自分の判断ではなくみんなの動きに従うという全体主義やファシズムの受け皿になってしまうと心配する。社会科だけでなく、教育そのものの課題として「主権者を育てる」ことが重要であると説く。
  ここで描かれている状況は30年も前の状況だが、今も同じだし、もっとひどくなっているともいえる。「中立であることが至るところで過剰に要求される。『政治的公平性』どころの話じゃない。『政治的無関心』こそが推奨される」(大澤聡、愛媛新聞) 状況だ。
  愛媛県教委の政治活動届け出義務化は「自分」を殺し萎縮させるもの、のびのびと「自分」をつくるよう助長することこそ教育の仕事だ。今の学校現場が気になる。これまでに述べた社会科だけでなく、学級会や生徒会が「自分たち」の問題を議論しているか。異論がたくさん出てこそ議論になる。そういう雰囲気や場がつくられているか。校長以下全職員がこの課題に知恵を絞ってこそ子どもたちの学校になるのではないか。
2016.05.29 個人新聞「ふぞろい9love」を創めて
                                          (「湧水」)


  脳梗塞の古傷が残り、脳出血で発症し、一ヶ月の入院を余儀なくされた。久万高原9条の会のほとんどの任務を約8年背負い続けたのを一部に限定して荷を軽くした。代わりに個人新聞「ふぞろいクラブ」を月刊で発行することにした。現在12号まで発行している。その趣旨を1号と2号に述べているので、かいつまんで紹介したい。
1号から
 「9をまく」という本がある。「まく」は「蒔く」が主な意味らしいが他の意味も込めているようだ。05年4月が初版で編者の集団はその前年に生まれている。9条を生かすための多様な活動が新鮮である。それに触発されたことと、日本国憲法の肝心要の部分は13条の「すべて国民は個人として尊重される」だという樋口陽一・伊藤真氏らの説が、現今の「和」の強調、同調圧力に埋没し自己規制に進む多くの国民感情を見るにつけ、大切だと感じ、「ふぞろい」であっていい、そうあるべきだと思い、この個人新聞を創ることにした。
   この新聞は、次のように運営したい。
①個人個人の多様な生き方・暮らし方・各種情報が紙面に反映できるようにしたい。原稿をいただきたい。匿名・ペンネームも実名も結構。
②月刊制とし、毎月13日を目途に発行・送信する。ただし、発行者には健康不安があるので、突然の発行停止・休刊が起こることを了解しておいていただきたい。
③発行者の生活状況から、印刷・郵送はできないので、ネットメールアドレスを有する方のみに送信する。希望しない方は連絡いただく。転送は自由。
④会費・カンパ一切不要。
⑤発行者の勝手な営みなので、読者も勝手な振る舞いをされて結構。ただし、紙 面以外での通信の秘密はお互いが守りあう。紙面の内容に関しては、どこでも どなたにでも語られて結構と認め合う。
2号から
 モチーフ1
山田太一さんの「ふぞろいの林檎たち」
  私は、山田太一さん脚本のドラマが好きだ。「狭いよりは広い家を、日陰よりは日向を、でこぼこ道よりはアスファルト道路を、遅いより早いほうを、自分の周辺にプラスの条件をどんどんそろえようとして生きてきた」一般的な生き方にほんとにそうかと切り込んでくる。これがすごく刺激的なのだ。映画「ふぞろいの林檎たち」は見ていないが、岩波ブックレット「ふぞろいの林檎たちへ」を読んで頷くことが多かったし、もう20年近くも前に読んだのに、今もちょくちょく読み返している。
モチーフ2
志村ふくみさん「不揃いの美」
 「愛媛新聞」15年3月17日の文化欄、丹波の山奥へ入って糸を紡ぎ草木で染め、手織りで織ることを老婆から習う青年青田五良。その青田から受け継いだ母からまた受け継ぐことになった志村ふくみさんが、誰のまねでもなく自分勝手で、整備され画一的なところが全くない、荒削りの、魅力的な美しさを「不揃いの美」と表現している。青田の仕事はまさにそれだというのである。
モチーフ3
長野県中川村曽我逸郎村長の「国旗、国歌、日本を考える
 「村長は卒業式や入学式で国旗に一礼をしていないようだが、なぜか」という議員の一般質問があった。村長の答弁は次の通りである。
 「国旗への一礼を押しつける空気は、思考や行動を型に嵌め萎縮させる。誇れる国にすることを妨げる。かえって日本の足を引っ張る。強制の空気があるうちは一礼を控えたい」
  ここまで個人の尊厳を守り抜いておられるか、敬服の至りである。また、同書の別のところで、「建前で済ませず、よく聞きよく見て、よく考え、空気を懼れず、冷静に丁寧に自分の考えを発言することが大切と思う」と。(著書はトランスビュー社)
全体から
自分の道を自分の足で歩いてきた人の輝き
 有名、無名を問わず、自分の道を自分の足で歩いてきた人は、燦然とした輝きを持っている。私が胸を打たれた、こうした人々の記録をすくい上げて、記事にしてきた。時には、時代に翻弄され、ゆらぎ、もがき、流され、屈した人々にも、人間の真実があることを取り上げた。そうした人々は、高齢になってもやり直しをしている。人間らしいといえる。
 取り上げた人々は次の方々である。
 笠木透、伊藤真、宇宙塵、鶴彬、泥憲和、桐生悠々、河原井純子、栗原貞子、いわむらかずを、吉田松陰、福沢諭吉、渡部良三、カント、奥田愛基、小林トミ、翁長雄志、上田栄一、才野俊夫、きたやまおさむ、橋本義雄、森達也、金子みすゞ、岡本鐵四郎、藤田嗣治、まど・みちお、池永正明、虫めづる姫君、清兵衛、高畠勲、浜松「平和大好きうたごえ喫茶」の方々、長坂月子
 読者とのつながり
 読者からお便りをいただくようになった。
 愛媛県=横野登美子、リュウジ・ムカイ、田中喜美子、水野真理子、
 広島県=土井信子
 静岡県=長坂月子、近藤房武、
 宮城県=酒井伸
  横野、土井、長坂は教え子であり、 彼女らがずっと年を経て、自分を持ち、
 問題意識を持って、人と関わり、社会と関わり、社会進歩と自らの成長に努力していることはうれしい限りである。彼女らは自分で自分を育てたのであり、私は少女時代にほんのちょっとのきっかけを与えたに過ぎない。そのほかの人々は、社会進歩の運動の中で関わりができた方であり、長く続く連帯に感謝したい。
コラム「吾(われ)亦(も)紅(こう)」の新設
  「吾(われ)亦(も)紅(こう)」は編者の思いを述べる欄として5号からスペースを作った。細いが強靱な茎と根を持っている山野草の風情に思いを託しているのである。 
2016.04.15 アメニモマケズ アベニモマケズ
                                 (愛媛退教ニュース)


 「何用あって月世界へ?―月はながめるものである」といったのは山本夏彦だが、私は「何用あって自衛隊は地球の裏側まで行くのか」と問いたい。
  自衛隊は「自衛」が任務で「他衛」が任務ではない。個別的自衛権で自衛したらいい。集団的自衛権はアメリカの戦争に参戦する権利で、日本の防衛とは無関係。そもそも日米安保は米国の権益を守ることが主で日本を守ることが主ではない。
  昨年11月13日のパリ、その後のベイルート、バマコ、チュニス、そして今回のブリュッセルのテロは、アメリカが行ったアフガニスタン・イラク・シリア等での破壊・混乱の中で育った「イスラーム国」によるものである。「対テロ戦争」は憎しみの連鎖を生み、それを拡大する。軍事力の行使からは何の解決も生み出さない。
  安倍首相は、大規模災害や外国からの侵攻に対処するため権力分立を一時停止して政府に権限を集中させ、国民の基本権に特殊な制限を加えることを眼目とする「緊急事態条項」を盛り込む憲法改正に、優先的に取り組む姿勢を打ち出した。自民党改正草案の98条・99条にあるとおりだが、憲法学者の長谷部恭男さんは、日本国憲法53条で国会を召集し、必要な法律を作ればよいだけの話という。ヒトラーがやった「全権委任法」をまねたいのかもしれないが、こちらは法律よりも上位の憲法を変えようというのである。
  集団的自衛権によって、日本の血税で給料を受け訓練した日本の若者が、血税で購入した武器を携えて、米国の都合で行われる戦争に、米軍の下働きとしてかり出される、これほど売国的なことがあろうか。
  今年は参院選(衆参同日も?)の年。昨年「聴取不能」の議事録状態でだまし討ちの強行採決でしか可決できなかった戦争法、市民・民衆の手に政治を取り戻そうとした闘いは、分裂を乗り越えて新しい政治風土を作りつつある。変革運動の主体「市民」の一員として、諦めない、燃え尽きない、持続する闘いを、地域に持ち場に粘り強くやり抜こう。 
2015.05.31 「ピースナイン」編集を降りて
                                         (「湧水」)


  久万高原9条の会機関紙「ピースナイン久万高原」の編集を約8年94号をもって降りた。脳出血を発症したことを機会に、後続の方による継承発展を期待してのことである。A4判縦使い縦書き5段構成裏表2ページを毎月9日付けで発行してきた。発行日が近づくと一種の緊張感に襲われ、張り合いを持つとともにしんどい思いも併せ持って迎えた。
  新聞は、見出し、リード、本文、資料(データ・写真・談話等)で構成され、本文は重要なものから先に書き、5W1Hの事実を明確に記すものになっている。視覚的にはレイアウトがカギを握る。
  憲法9条をめぐる問題は政治の次元の問題であり、日常の暮らしとどう関わらせてゆくか、紙面構成に一番悩み抜いたことである。卑近な例だけを記すのではなく、普通なかなか入手できない情報を提供することによって、そういうこともあったのか、そうだったのか、そういう考え方もできるのか、といった思考の場を作り、議論に参加していただけたらと思って、多少レベルの高い切り口にすることが多かった。最近、安倍内閣による、平和も民主主義も生活も破壊する、狂気に近い行政が猛進しているのに、国民の支持率が高いという民主主義の未熟さ(同調圧力から自立できない個人)に希望を失いそうになったが、それだけにこの新聞を出す意味があると思い直したりして続けてきた。
  長野県南部に中川村という小さな村がある。曽我逸郎村長は現在3期目。「憲法9条を守る首長の会」、「日本で最も美しい村」連合加盟、「中川村全村挙げてTPP交渉参加反対デモ」呼びかけ隊列の先頭に、「脱原発を目指す首長会議」参加、「国旗に一礼しない村長」。曽我逸郎さん自身がすごいのはもちろん、この人を3期も首長に選んだ村民にも敬意を表したい。
  中川村議会一般質問。「村長は卒業式や入学式で国旗に一礼していないようだが、なぜか。」
 曽我村長答弁。「国を誇りに思う気持ちは、誇れる国を創れば自然に生まれる。そのためには一人ひとりがあるべき国の姿を考え、その実現に向けて行動しなければならない。国旗への一礼を押しつける空気は、思考や行動を型に嵌め萎縮させる。誇れる国にすることを妨げる。かえって日本の足を引っ張る。強制の空気のあるうちは一礼を控えたい。」  (12年6月)
村立中川中学校卒業式祝辞
  (前略)若い皆さんはこれからの社会を築いていく立場にあります。私たち大人の失敗を改めてもらわねばなりません。経済においても、またエネルギーなど社会の基本的仕組みにおいても、これまでの延長線上ではやっていけない時代になっています。みなさんの若々しい自由で柔軟な発想が必要です。そのためには、どうか皆さん、幅広い勉強を続けてください。そして、まわりの空気を恐れず、勇気をもって自分の考えを表明し、批判を受け止め、みんなでお互いに考えを深めていくことが大切です。人と違う意見は、違うというだけで価値があります。少数意見にも耳を傾け、互いに学び合って、明るい未来、希望の持てる社会を創り上げていただきたいと願います。
  最後に英語の言葉をはなむけとして送ります。
   You can't control the length of your life
  but you can control the width and depth
  (人生の長さを好きに伸ばすことはできないが、
   人生の広さと深さは自分で広くも深くもできる。) (後略)
                     (11年3月16日)
 国旗一礼の答弁も中学校卒業式の祝辞も若い世代だけでなく、私たち大人自身が重大な考慮を払うべき問題である。これこそが日本に根付かなかった最大の課題だとも言える。私は、冒頭に書いた発症から人生の長さが残り少なったことを強く感じるようになった。終末を迎えるまでにしておかなければならないことがたくさん残っている。限られた時間、少しでも広さと深さのある人生としたい。「ピースナイン」の編者は降りたが、人生の現役は降りない。希望がないように見える現今の日本と世界、ギブアップして何もしないのでは、相手の思うつぼにはまるだけだからだ。
  (参考文献 曽我逸郎著「国旗、国歌、日本を考える」トランスビュー発行)
2015.05.31 サクラに思う
                                  「湧水たより」


  今年もサクラがきれいに咲いた。山桜、エドヒガン系、ソメイヨシノ、シダレザクラ等々どれも美しい。家族や知り合いの家族とともに、サクラ見物に各地に出かけた。
  サクラは美しいのだが、どうしても連想させられることがある。一つは、「同期の桜」の歌にある勝つことを考えていない犠牲。海軍特攻隊「神風」潜水魚雷「回天」どちらにも搭乗員の救命装置はなく、確実に死をもたらす兵器であったことである。そうした死を美しいサクラの花の散るのに象徴させ、美しい生き方を強く望んだに違いない若者を、その生き方と対立するはずの「自国に対する責任」という、死と同義の行動に駆り立てたのである。
  特攻隊員の戦死者は3843人とも3349人ともいう。職業軍人たちは出撃を志願せず、学徒兵や予科練生だけが死地に送り出された。彼ら若者の残した膨大な手記からは、美しい理想に燃えた若い命の実例が満ちあふれているという。ユートピア的理想主義、ロマン主義、マルクス主義、コスモポリタリズムを追求したのまであるとのことだ。
  サクラに関する私のもう一つの思いは、44年6月に戦死した父のことだ。父の死後、先輩だった方から、短冊の色紙が送られてきた。そこに書かれていたのは、「散る桜残る桜も散る桜」とあった。良寛の辞世の句との説もあるが、別の本には「裏を見せ表を見せて散るもみぢ」が辞世の句とあったので、真偽のほどは分からない。
  美しいがゆえに、誰にも好かれるがゆえに 、サクラは軍国主義化の象徴となった。特攻隊の若者も私の父も、平和な社会に生きていたら、いい仕事をしたのではないか。社会の進歩や人々の生活向上になにがしかの貢献をしたのではないかと思う。
  桜の花の歪曲を図り、 多くの人を殺した大罪は権力者の側にあることは言うまでもないが、力のない私ども一人ひとりが、気がつかないうちに悲劇を導く道に荷担していったことも心して、実生活を営みたいと思っている。
  美しいものは利用される。サクラだけではない。文学も音楽も演劇も映画も建築も……。
 参考文献 大貫恵美子 著『ねじ曲げられた桜ー美意識と軍国主義』  (岩波書店) 4000
                          円+税  (600ページにわたる大著、腰を据えないと読めない)
2014.06.03 「木を見て森を見ず」の結果
                                                       (「湧水」)


  つい最近、「教育勅語」の原本が確認されたという記事が「愛媛新聞」に報じられていた(4月9日付け)。関東大震災で文部省庁舎が焼けた際に損傷していたが、62年に公開されて以来所在不明になっていたものがみつかり、国立公文書館に移管し、修復を進めるのだという。今ごろなんで…という気がしないでもない。
  私に近い友人が、「教育勅語」はすべてが悪いのではない、いいことも示しているといったことがある。なるほど、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習い以て智能を啓発し、徳器を成就し、進で公益を広め……」というのはさほど異議を挟めない。しかしである。
  「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」(いったん国にことある場合には、勇気をふるい、一身をささげ、皇室国家のために尽くす)るのが「臣民の道」であり、「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」に収れんしている。つまり、夫婦が仲良くするのも、学問を習うのもすべては皇室の運勢をますます盛んにすることに他ならないのである。これは第二段の内容であるが、第一段は、天照大神以来の天皇が日本を支配する国体であり、教育の源もここにありとし、第三段は天皇が臣民とともに以上のことを守るべきとし、全体として、忠君愛国と忠孝の道徳を強調している。
  「教育勅語」は天皇から首相・文相への下賜という形式をとり、印刷謄本も各種学校への下賜であった。「教育勅語」は「不磨」の憲法と呼ばれ、教育についての最高の勅令として、徳育の基本とされた。
  このように、「教育勅語」は形式においても、内容においても、民主主義の理念に相容れないものであり、これが本質である。先ほどの友人の発言は、「木を見て森を見ず」となっている。
  「教育勅語」の徳目数を超える徳目の内容が、一次安倍内閣で成立した「教育基本法」第二条にある。学習指導要領の「教科」「道徳」「特別活動」「総合」の四領域があるのに、「道徳」にかかる目標のみを「教育目標」とするのは、戦前の「修身」を筆頭科目としたのと同様に、教育を道徳教育に一元化していく志向が読み取れる。
  日本近代史を振り返ってみると、教育は戦争への露払いの役目を担ってきた。一次安倍内閣が、国民投票法とともに、教育基本法の改定をしたのも、二次安倍内閣で次のような政策が着々とそれも急ピッチで進められているのもそのためであろうと考えられる。
① 道徳の教科化 子どもの心を 国家が管理
② 教科書検定基準の改悪 教科書の国定化へ 
③ 教育委員会制度の改変 首長主導型地方教育行政
④ 学制の複線化 「人格の形成」でなく「人材の育成」である。
  とび級 産学連携 大学評価システム 予算等の資源再配分……理研や小保方さんはその犠牲ではないか。
⑤ 小学校英語教育教科化 国際競争に打ち勝てる少数のエリートの育成
  これらの教育政策の結果として、国際競争に打ち勝てる少数のエリートと使いやすい使い勝手のいい労働者・兵士になるようなノンエリートが大量に生み出され、「世界で一番企業が活動しやすい国」づくり?大企業のもうけが増える国になってどうなるのか。内心への介入と支配が進み、ものもいわない人間ばかり増えて、命を落とす人間が多くなってしまっていいのか。
   付 廃仏毀釈から石仏を守った民衆
  攻撃に対して、防御が必要なことがある。この写真の石仏は、久万高原町美川地区、藤社(ふじこそ)の奥地の岩陰にある。天保9年、10年、11年、12年の刻印があるから、1838年から41年のもので、新四国、新西国の札所である。
  もともとは美川古道とも呼ぶべき生活道に設置されていたと思われるが、写真のような岩陰等の場所に移されたと思われる。郷土史家(故人)は、「明治初年の廃仏毀釈によって、この種の石仏類が、荒波にさらされたことは、容易に推測できるが、実際に調査を始めて見ると、当時の人々の信仰心の深さと、それを守ろうとする知恵に驚かされるばかりであった。集められた場所も、人里離れた山中で、容易に人が近づけないようなところを選んでおり、当時の官憲の目を逃れるための、人々の苦心の跡が忍ばれるのである。」と記している。
  明治初年と今日とは全く違うはずである。国家にも権力にも金力にも縛られない、自立した人間が多くなっているはずである。憲法を基にした平和な日常、いのちとくらしを守る闘いを、知恵を出し合って続けたいものである。
              参考文献 藤田昌士「道徳教育」エルディ研究所
                        美川村教育委員会編「美川の歴史と民族」