2012年10月29日月曜日

釣られない魚

2012/9/16 (日)

釣られない魚

南淵明宏さんに「釣られない魚が大物になる」という著作があります。 

 
その序文「はじめに」で、医者・医療の世界で、「何の役にも立たない論文を書くための動物実験に知力と体力を注ぎ」、本業とは無縁の「虚業の人生」を送っている典型的な例として、大学病院の医者を挙げています。その人たちを「人に釣られた」魚だとし、会社組織の職員や国会議員にまで言及しておられます。「自分で何をやっていいかわからない、そうこうしているうち、知らない間に都合のいい価値観を誰かに都合良く『吹き込まれ』『すり込まれ』、気が付くと馬車馬のように走らされている人たちのいかに多いことでしょうか」と嘆いておられます。

 反対に、「自分の感性をたいせつにし、信念を持ち続けた人たち」は、最後まで釣られなかった魚として、育って大物になっているとおっしゃいます。

 私は、最近、自分史「でんでんむしの詞(うた)」を上梓しました。進呈して読んでいただいた方々から、お礼の手紙や葉書を戴いたのですが、かなりの方から、「ぶれない生き方を持ち続けられたことに敬意を表します」とあったのは、社交辞令ではあるでしょうが、嬉しいものでした。


 近視眼的に利を求めたら、釣られてもいい、権威・権力のある人のそばにいるのがいい、財力のある人のそばがいいということになるのでしょう。最近、私どもの地方の町長選挙でも、現在進められている大政党の総裁選・代表選で、国会議員たちも地方議員たちも、政治理念や政策はそっちのけで、多数派工作の政局に明け暮れています。消費税増税、原発再稼働、オスプレイ配備から、自殺者、生活保護受給者、「孤独死」の増大など、本当に政治が取り組まなくてはならない問題がそっちのけになっています。やはり、私ども一人ひとりの自立・自治の力が高まらないと、世の中は変わらないでしょう。
作成者 tsurarenaisakana1 : 2012/9/18 (火) 17:45 [ コメント : 0]

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