2013年3月31日日曜日

長い冬眠

 長い冬眠であった。このブログの話である。10月から3月まで休んだのだから、長すぎる休眠である。それは、10月に母が脳出血で倒れ、入院しての治療と介護が必要だったことに由来する。
 母は、満99歳であったが、今回が初めての入院であり、最後の入院となった。脳内血管の2カ所から出血し、記憶は、古いものだけが一部残っていたが、人生後半のものはほとんど消えていた。

 それでも次のようなことが知覚されていたのはどうしてなのか、不思議な気持ちを持って相づちを打ったり見守ったりしていた。
 ア 自分の生年月日 イ 現年齢 ウ 病院内の指示・標識等の文字読み 
 エ 大阪の弟がよこ した手紙の文面読み オ 現に生きている家族の名前 
 カ 死した家族の名前(生きていると思っている者もいた) 
 キ 自分の姉弟・甥姪の名(生死不確か)
 
   次の生活信条に関するものは、私の推測である。記憶・知覚が怪しくなっているのに、生き方・暮らし方のバックボーンは崩れていなかったとみる。
 ア まじめに働いて、他人に迷惑をかけない。自分にできることをしっかりやって自立して生きる。
 イ 華美・派手を戒め、地味・質素を大事にする。冗費せずに倹約すること。
  ウ 人の悪口を言わず、愚痴をこぼさず、我が身の修養を心がけること。
 エ 何がなにやら分からなくなったといいながら記憶知識を懸命にたどり修復しようとしていた。
 オ 夜中に病室のベッドから降り床を這っていたのは何とか自力で家に帰ろうとしていたのか。

2006.3.22惣川土居家、母92歳。葬儀遺影
大晦日と正月は一時帰宅の許可を得て、我が家で過ごし、私は二晩、母に添い寝をした。妻が作った食事もよく食べた。箸を使って自分で食べた。母と子と孫とが過ごした最後の正月であった。

 3月9日、母は安らかに息を引き取った。一言で言うなら、立派な生き方であったし、立派な死に方であったと思う(身びいきに過ぎようか)。 まだ知覚が確かであった頃、常々、「自分は十分生かされてきた。どんなことになっても延命治療はしないでくれ。運命に従って自然に死にたい」といっていた。遺言書のような文書にしたためられたものはなかったが、わたしは、そのように主治医に告げていたが、希望通りになったもの思う。3月9日は遺体となった母のそばで添い寝をした。小学生・中学生頃に母に添い寝をしてもらっていた頃を思い起こしていた。

 通夜も葬儀も、いま、私が住むところでなく、母が長く住んでいた私の郷里で行った。生前親交のあった方々とのお別れがいいだろうと思ったからである。どちらもたくさんの方々に来ていただいた。葬儀は私が喪主を務め、お礼の言葉を述べたが、弟が「かあさんの歌」を歌った。歌は途切れることがあったが、ともに過ごしてきた共感の発露であり、別れの哀感であった。

1936年3月9日父母の結婚記念写真
葬儀が終つて3週間になるのに、私は何も仕事が手につかない。「どこも痛いところがない」といって逝ったことと99歳の長命に安堵するものの、あれでよかったのか、もっとしてあげることがあったのではないか、悔いに近いものがこみ上げてくる。しかし、ささやかだが、母にいいことをしたなと思えるものがある。一つは、自分史「でんでんむしの詞(うた)」を上梓し、母は丁寧に読んでくれたこと、その第一章「結ぶ家族」で母を中心に家族の歩みを記したこと、第二は、私と妻とで、山や里を歩き・走ることが好きな母を連れて、内子町・久万高原町を中心に100回を超えるドライブをしたこと、弟は大阪から100回を超える手紙を母に送り続けたこと、第三は、私と弟とで、どちらかの誕生日に、「かあさん、僕らを生んでくれてありがとう。次に生まれるときもかあさんの子になりたい。また、父さんと結婚して僕らを生んで育ててやな」と頼んだのであった。

 母が息を引き取った3月9日は、奇しくも77年前、父と母が結婚記念写真を撮った日である。早く戦死した父とは9年間夫婦でいて、たびたび戦争に召集された父との実質的な夫婦生活は4年くらいだったのではないか。その父との生活を取り戻そうとして、この日を選んで母は逝ったように思えてならない。結婚前である1934(S9)年から1944(S19)まで父と母が取り交わしたかなりの量の手紙が見つかった。また、31歳で戦争未亡人となり、零細農業を営みながら、女手一つで、90歳前後まで生きた舅姑を看取り、私たち兄弟を大学まで卒業させてくれた母が記録している日誌(生活記録・農事記録)が約50年分残っているので、いつの日にか出版したいと思っている。それをして、もういないのだけれども、母への恩返しの一部にしたいと思っている。

 ここまで書いて、少し落ち着いた。いつまでも沈み込んではおれないので、するべきことに取り組んでいかないとと思うようになった。
   
 

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